橋爪秀夫
物質・材料研究機構 物質研究所
〒305-0044 茨城県つくば市並木1-1
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1.はじめに 2.無機物から低分子有機物へ 3.低分子有機物から高分子へ 4.光学活性について 5.高分子の機能化と粘土鉱物の役割 6.山積みの問題 |
1.はじめに
生命がどうして地球に存在したのかは古くから研究されていますが、未だに興味が薄れない研究です。その理由の一つはこうすれば生命が作れますという理論的なまたは実験的な証拠が未だに見つかっていないためだと思います。生命の起源に関する書籍はたくさん出版されていますので、詳しくはそれらの書物を読んでもらうことにして、ここでは、主に生命の誕生と粘土鉱物との関係をお話することにします。またいくつかの生命の起源の研究で抱えている課題を示します。
我々生物がどのような有機物で作られているかをまず見てみます。細胞には真核細胞と原核細胞という2種類があります。真核細胞を持つ生物はより進化した生物で、原核細胞をもつ生物(主に単細胞生物)はより古くから地球上に存在したと考えられています。よって原始地球に最初に現れた生命体は原核細胞に近い形体をしていたと考えられます。原核細胞の構成を簡単に説明しますと、主に細胞膜や核様体、リボソーム、場合によってはメソソームがあります。細胞膜は数種類の脂質と膜蛋白質よりできていて、脂質の2分子膜に膜蛋白質が浮かんでいるような形体です。核様体は染色体(DNA)がまとまったところです。原核細胞では真核細胞のように核が核膜によって仕切られていません。このため核様体と呼ばれています。DNAは核酸塩基(アデニンとグアニン、シトシン、チミン)とデオキシリボース、リン酸で構成されています。リボソーム内ではDNAからの情報により作られたmRNA(メッセンジャーRNA)とアミノ酸と結合しているtRNA(転移RNA)により蛋白質の合成が行われています。(RNAはDNAと良く似ていますが、チミンの代りにウラシルが、デオキシリボースの代りにリボースが使われています。)リボソームにはrRNA(リボソームRNA)があり、蛋白質の合成速度などを調節しています。細胞質内には酵素(触媒機能を持った蛋白質)がたくさんあり、様々な機能をしています。また蛋白質は主に生体アミノ酸と呼ばれる20種類のアミノ酸(表1)により構成されています。このように見ますと、生物の構成物としては、アミノ酸、核酸塩基、脂質、糖類(デオキシリボースやリボース)リン酸などから構成されていることが分かります。リン酸は重要ですが無機物ですから、とりあえずはおいておいて、生体有機物の合成が如何にして原始地球で起ったかを次にお話します。
2.無機物から低分子有機物へ
できたばかりの地球は地表から深い所まで溶岩のように溶けた状態であったと考えられています(このことをmagma oceanと呼びます)。Magma oceanにはたくさんの窒素や窒素酸化物、一酸化炭素、二酸化炭素、水、その他の揮発性成分が含まれています。時間と伴に地表の温度が下がり、大陸とおぼしき岩石の塊が溶岩の上に浮かび始めます。そのような状態になってくると、magma oceanに溶けていた揮発性成分は岩石に取り込まれにくいため地球表面に噴き出し原始大気を作りました。さらに表面の温度が下がると水蒸気が水になり、それが海になりました(その当時の海は塩辛くなかったと言われています)。大気の主な構成成分は窒素や窒素酸化物、二酸化炭素、一酸化炭素、水蒸気があったと考えられます。その他にメタンやアンモニアなどもあったと思われています。これらになんらかのエネルギーを与えることで生体有機物を作ることができると考え、生体有機物の無生物的合成の研究が1960年代に始まりました。先駆けとしてユーレーとミラーが原始大気をメタンやアンモニア、水などを含んでいるようなモデル大気(この大気モデルを還元的大気と呼んでいます。)を考えて、その大気に放電を行うことで数種類のアミノ酸や、その他、生命に必要な有機物を合成することに始めて成功しました(この実験はミラーの実験と言われています)。その後、様々な人がエネルギー源を変えて類似の研究を行いアミノ酸の合成に成功しました。これらのなかで、実験系にモンモリロナイトやカオリナイトを加えで同様の実験も行われています。これらの粘土鉱物が存在することで、アミノ酸の側鎖がアルキル基(アラニンやバリンなど)を持つものが多く生成することが示されました。
ところが、地球科学の進歩により、原始地球の状態が段々分かってくると、上で述べたようにユーレーやミラーが予想した原始大気ではなく、主に窒素酸化物、二酸化炭素や一酸化炭素などで構成された大気であったと考えられるようになりました(この大気モデルを非還元的大気と呼んでいます)。このような非還元的大気に放電や加熱の実験を行ってもアミノ酸はほとんど合成されませんでした。生命を構成する有機物はどのようにして地球上に現れたのか分からなくなりました。始源的隕石(コンドライト)と呼ばれるものの中にアミノ酸や核酸塩基が存在することは知られています。この隕石は太陽系ができたころに存在した隕石で原始太陽系の情報が詰まっていると考えられます。この隕石中にアミノ酸などがあることから宇宙空間においてアミノ酸が合成されていたと考えられます。宇宙空間に存在したと考えられる二酸化炭素や、窒素などの混合物に太陽風や宇宙線をモデルとしたエネルギーを与えることによって若干のアミノ酸が合成されたという報告があります。このような方法で合成されたアミノ酸は隕石や宇宙塵などに付着して、地球上に落下したという考え方が現在は有力視されています。しかしながら、宇宙空間での有機物の合成は非常に希薄な条件での合成になるため、実験室で行われるような結果にはならないとも言われています。最近では原始大気の成分がすべて非還元的であったのではなくて、還元的なものとの適当な平衡関係にあったという話もあり、原始地球上においてもアミノ酸などの合成も可能であったのかもしれません。
核酸塩基はシアン化物やホルムアルデヒドが存在すると比較的簡単にアデニンやグアニンが合成され、シアノアセチレンとシアン酸塩などが反応するとシトシンが合成され、シトシンの加水分解で、ウラシルが合成されます。シアン化物やシアノアセチレンなどは簡単な構造であり、原始大気中にも存在していたと考えられていますので、核酸塩基も簡単に合成が行われたと考えられています。
糖類の合成では濃いホルムアルデヒド溶液から簡単な糖類は得られますが、種々な異性体も存在することが知られています。アルミナやカオリンを加えて希薄なホルムアルデヒドを熱することにより糖類が生成することも知られています。しかしながら糖類は異性化しやすいという点があります。核酸に必要なリボースやデオキシリボースのような5単糖は分解されやすいのですが、モンモリロナイトなどが共存すると分解されにくくなるという報告もあります。リボースやデオキシリボースなど生体で用いられる糖のみを狙っての合成はいまのところ難しいと思われています。
脂質の合成はほとんど行われていないのが現状です。そのなかで粘土鉱物を使ったものとして、ホルムアルデヒドを出発物質として、そこにポリリン酸とアパタイトを加えることで、脂質の一種が合成され、さらにこの脂質は自発的に組織化しベシクルを形成したという報告があります。粘土鉱物は核酸塩基や糖類、脂質の合成などではあまり利用はされていないようです。
3.低分子有機物から高分子へ
アミノ酸は図1に示すようにアミノ基とカルボキシル基が脱水反応することによって高分子(蛋白質様物質)になります。脱水反応をさせるために、加熱する方法、縮合剤を用いる方法、触媒を用いる方法など考えられています。これらの方法でアミノ酸の高分子化は起ります。この中で粘土鉱物の触媒作用を利用する方法があります。グリシン溶液にカオリナイトまたはモンモリロナイトを加え加熱し、乾燥させます。そして、水を加え、熱を加えるというwet & dryを繰り返すことにより、グリシンが5個結合した高分子(5量体)が合成されました。これは干潟をモデルにした実験のため干潟モデルと呼ばれています。その他には、アミノ酸を活性化したアミノアシルアデニレートを水溶液中で縮合する際にモンモリロナイトを加えると、反応が良くなり、高分子化が進むことが報告されています。類似の実験ですが、イライトなどの粘土鉱物の10量体のアミノ酸のオリゴマーを加え、さらに活性化したアミノ酸モノマーを加えて恒温槽に入れ、オリゴマーの高分子化を行います。この時に特定の時間放置した後に固相と液相を分け、液相を捨て、新しいアミノ酸モノマー溶液を加え再び恒温槽に入れるという操作を繰り返します。そうするとオリゴマーは最初10量体であったのが、50量体程度の大きさになったという報告があります。干潟では潮の満ち引きにより満ちた時には新しい有機物が供給されるというようなモデル実験のようです。
次に核酸塩基から核酸様物質化についてお話します。核酸と呼ばれているものにDNAとRNAがありますが、生命の起源ではRNAがDNAより先に存在したのではないかという考え方があります。核酸様物質(RNA様物質)の無生物的合成について話す前に図2を参照しながら言葉の説明を少しします。核酸塩基(アデニン、グアニン、シトシン、ウラシル)とリボースの1’位の水酸基と脱水反応したものを、ヌクレオシドといいます。(アデニン、グアニン、シトシン、ウラシルのヌクレオシドはそれぞれアデノシン、グアノシン、シチジン、ウリジンと呼ばれます。)このヌクレオシドのリボースの5’位の水酸基と脱水反応して、リン酸が結合したものを、ヌクレオチドといいます(例えば、アデノシン1リン酸などと呼びます)。DNAの場合は図2に示していますようにウラシルやリボースの代りにチミンやデオキシリボースが用いられています。ヌクレオチドは高分子化のときの一つのユニットと考えてください。ヌクレトシドやヌクレオチドの合成、ヌクレオチドの高分子化はアミノ酸の高分子化と異なり、複雑そうだというのは言葉から何となく予想がつきます。核酸塩基とリボースの反応ではリボースの5個のOH基と核酸塩基が反応することが可能です。さらにそれにリン酸が反応するのですから、生成物にたくさんの異性体が存在します。高分子化の方法はアミノ酸の高分子化の時と同じような方法を用いています。粘土鉱物はアミノ酸同様、ヌクレオチドを吸着する性質があることが知られています。モンモリロナイトの表面にヌクレオチドが配列し、重合を促進させる効果があるという報告があります。また、粘土鉱物とヌクレオチドが複合体を形成することにより、複合体が核酸のような振る舞い、後に核酸に置き換わったという説もあります。しかしこの仮説を検証するのは非常に難しい所です。また原始地球上の最初の核酸様物質はRNAでもDNAでもなくPNA(図3)のような高分子であったという仮説があります。このPNAは現在使われているDNAと2重螺旋構造をとることもでき、PNAに転写した情報をDNAにも転写できるそうです。またリボースと核酸塩基とリン酸からの無生物合成で生じる異性体の問題も少なくDNAやRNAの変わりに用いられた核酸様物質の一つと考えられています。
4.光学活性について
合成された蛋白質様物質に機能(酵素のような触媒作用)を持たせるための条件の一つに光学活性について考える必要があります。アミノ酸にはD体とL体という2つの光学異性体があり(図4)、生物はL体を使用しています。D体とL体の混合した高分子では酵素反応のような機能を示しにくいというのが一般的です。蛋白質はα螺旋構造やβシート構造を作ります(図5)。構造中のC=OとN-Hが水素結合することでそれらの構造が保たれています。そのことによって活性点(触媒作用をする場所)ができ、触媒として機能します。しかしL体にD体が混ざった蛋白質様物質ではこれらのα螺旋構造やβシート構造を作ることが難しくなり、触媒反応を起す活性点が作られなくなります。そのため酵素としての機能を持つことが出来なくなります。よって高分子化の際にD体とL体を選ばなければならなくなります。粘土鉱物はアミノ酸を吸着しやすくD体とL体の選択的な吸着を行うと言われていましたが、モンモリロナイトやカオリナイト自身の構造には光学異性体の選択的な吸着をするような場がないと報告されています。しかし、層状粘土鉱物のエッジに光学異性体を選択する場があるという話もあります。また最近、土壌中にあるアロフェンという物質にアミノ酸のD体とL体を選択的に吸着するのではないかという可能性が示されましたがはっきりとしたことはわからないというのが現実のようです。しかし光学異性体を分離するような構造をアロフェンや層状粘土鉱物が本当に獲り得るのか今の所わかりません。その他、イオン交換によってモンモリロナイトに銅イオンを包接した銅モンモリロナイトを用いたアミノ酸の選択的吸着の研究や、光学活性を持つ錯イオンの一方をモンモリロナイトに吸着し、さらにラセミ体(D体とL体が1対1で混合しているもの)を吸着させると、先に吸着したほうのみが選択的に吸着するという報告もあります。また粘土鉱物が溶液中で作る凝集体の構造が光学異性体を選択する可能性があるなどとも言われています。粘土鉱物を用いての光学異性体の分離の可能性はあるかもしれませんが、未だにはっきりとしたことは分かりません。現在考えられている生命体のアミノ酸のL体の使用についての理由は偏向性のある高エネルギーの放射線や、紫外線、宇宙線などがD体を選択的に分解したことにより、L体の多い蛋白質様物質ができたためではないかと言われています。また、放射性同位体元素が崩壊するときにでる放射線によってもアミノ酸のD体またはL体が選択的に分解するという研究も古くから行われいます。
また光学異性体の問題を解決する方法の一つとして、ポリグリシン説というのがあります。グリシンポリマーにホルムアルデヒドやアセトアルデヒドを加え、さらにカオリナイトを加え反応させ、セリンやスレオニンの側鎖をつけることができるという報告があります。この方法ではアミノ酸のD体L体問題は生じなくなります。
5.高分子の機能化と粘土鉱物の役割
高分子の機能化と粘土鉱物の関係についてははっきりした関係は分かりません。しかしながら、粘土鉱物は生体有機物を吸着しやすいということから、粘土鉱物の層間や表面で高分子が合成されたとしますと、その高分子の形が粘土鉱物の層間や表面に鋳型として残り、次々と同じような高分子が合成される可能性はあると考えられます。粘土鉱物が鋳型になるのであれば、たとえば核酸のように情報を持つ核酸様物質が粘土鉱物の層間でできると、同じ情報を持つ核酸様物質がたくさん合成されるということになります。さらに、粘土鉱物は薄くて微細な粒子ですので、溶液中に分散後の沈積の際にカードハウスのような構造をとることがあります。有機物を多く吸着した粘土鉱物が、このようなカードハウス構造をとったときに外界から閉じたような状態になりますが、粘土鉱物間の隙間が開いていて外界との分子のやり取りが行えるようであれば、生体高分子同士の相互作用を行う場になるかもしれませんし、細胞膜の代りの役割をすることができるかもしれないと考えられます。このように考えますと粘土鉱物の生命の起源に対する役割は大きいかもしれません。実際に、生命の起源の研究を目的とした高分子間の相互作用に関しての研究はあまり例がなく(生化学においては蛋白質間、核酸と蛋白質間の相互作用についての研究は行われています。)、どのようにして機能化、組織化をしたかは研究例が少なくほとんど分かっていません。
粘土鉱物が生命体の合成に必要不可欠であったかという事に関しては、本当に必要不可欠だったのであろうかという話になります。例えば、粘土鉱物を触媒としてアミノ酸や、ヌクレオチドの高分子化の研究では、金属イオンなどを触媒としても同様の結果、場合によっては粘土鉱物を用いるよりも優れた結果を得る事ができます。このように考えますと、粘土鉱物は必ずしも必要ないようにも思われます。粘土鉱物を用いての高分子化での利点は層状粘土鉱物などでは、層間という限られた空間での反応が行えること、つまり2次元的、あるいは1次元的な反応が行える可能性があります。あるいは粘土鉱物が凝集したときに出来る隙間が反応の場となることも考えられ、金属イオンとは異なる反応を行える可能性があることから、粘土鉱物は生命の起源に何らかの影響を持ったとも考えられます。
6.山積みの問題
生体有機物の合成やその高分子化についての問題点も少し示しながら話しましたが、その他にも我々が解いていかなければならないものが沢山あります。まず、アミノ酸や核酸塩基、その他の生体有機物はそれぞれがそれぞれの方法で合成されますが、地球上の原始大気から同じようなエネルギー源で合成されたのであれば、アミノ酸のみならず核酸塩基やその他の生体有機分子も同様に合成されてよいと考えられます。核酸塩基の合成ではアミノ酸合成の時の中間生成物を用いているにもかかわらず、アミノ酸はあまり合成されないということがあります。逆もそうなのですが、アミノ酸合成の実験では核酸塩基はほとんど合成されません。太陽系内で合成されたとしても同じことがいえます。どういうことでしょうか?原始地球の環境には我々がまだ知られていない条件が幾つもあるのかもしれません。これに関連しますが、生体低分子有機物の生成量は非常に少なく、原始海洋に溶けたとすると、あまりにも希薄すぎて、高分子化が本当に起るのかという問題もあります。濃縮する場所として、干潟などあげられます。また海底火山(熱水噴気口)の付近から海水が浸み込み、周りの土壌に有機物が濃縮するとか、プレート運動により海溝付近に海底の堆積物が集まり、そのようなところに濃縮するとか、いろんな仮説はありますが、反応に充分なだけの生体有機物が濃縮できるかという問題があります。地球ができてから生命が誕生するまでに約10億年ありますから、充分な時間はあるし、わずかな生成量でも、常に必要な生体有機物が生成されていれば、充分な量に達するという話もあります。
次に月の表面にはたくさんのクレーターがあります。それらのクレーターの年代を調べると、ほとんどが36から40億年前のものです。月にあれだけのクレーターを作るくらいに隕石や小惑星が降ったということはもちらん地球上にもたくさんの隕石や小惑星が降ったに違いありません。月よりも重い分だけ地球に降り注いだ量も多いと考えられます。そのころは生命はまだ誕生はしていませんが、生体有機物は高分子化していたかもしれませんし、もしかすると生命の一歩手前かすでに原始生命体が存在していたかもしれません。そのような時に隕石の大量落下は一大事件です。地表は高温になり、またあちこちで隕石の落下のために、火山活動が活発になったであろうしと考えると、有機物などはひとたまりもなく分解してしまったという可能性もあります。この隕石の大量落下の影響については様々な考え方があり、隕石の落下地点からはなれていれば、反応に充分なエネルギーが供給されるために低分子有機物の合成や高分子化が促進されたという考え方があります。また生命の発生までに数億年とかかかったのではなく数百万年くらいで充分という考えもあります。隕石の大量落下により、有機物やその元となる炭素や窒素なども大量にもたらされることから、希薄な溶液ではなく少しは濃い溶液ができるかもしれません。溶液の濃度が高くなると反応がより早く進むことも考えられますので、隕石の大量落下以後からでも生命の誕生までの時間についての問題は考えなくてもよいということになります。地球科学や惑星科学の研究が進み、より詳細なことが分かれば、検証実験も行われることと思います。
アミノ酸のL体選択性や糖類のD体選択性についても問題があります。現在有力な候補として宇宙空間での偏向した紫外線がアミノ酸のD体を分解するという説があります。これは太陽からの紫外線がある方向では円偏向するというものです。右旋光性の光がある方向に作られるとすると、その光の逆方向では左旋光性になります。ということはある部分ではD体が分解されますが、その逆方向ではL体が分解されます。宇宙空間では全体としてアミノ酸のD体もL体も同数になります。また地球の軌道上に局部的にD体が多い所、L体が多い所ができますが、隕石などに吸着して地球に落下してくるアミノ酸のD体とL体の量も結局はほぼ同じになると考えられます。また、多くの実験はアミノ酸に関しての光学活性のみが取り上げられています。糖類の光学活性については全くと言っていいほど議論がなされていません。アミノ酸のD体を偏向した光で分解するとそこでは生命が使用する糖類のD体も分解されると容易に予想できます。アミノ酸のL体を残して、糖類のD体も残すような条件が必要になります。また放射性同位体元素を用いた光学異性体の分解実験では使用する放射性元素や用いたアミノ酸によっても違いがあるようです。光学活性の問題もまだまだ結論が得られないという所です。
生命の誕生に核酸がより重要かそれとも蛋白質の方がより重要かという問題もあります。蛋白質は様々な機能を持つことから、蛋白質のような機能を持ったものが先に存在し、触媒作用によって核酸の合成などを助けたという考え方があります。ミラーの実験やその他の実験においても原始地球の大気の組成からアミノ酸は得られ易いけれども、核酸塩基はほとんど得られないことから蛋白質が核酸よりより重要というのも一つの理由だと思います。また一方では、RNAの中に触媒作用を持つものがあります。RNAは構造から遺伝情報を持つことができますので、遺伝情報も機能も持つものが先に存在し、その後に蛋白質のような機能を持つものを合成するのを助けたとう考え方もあります(RNAワールドと呼ばれています)。RNAが先、蛋白質が先という話の中間としてPNA仮説というのがあるように思えます。PNAについては、原始地球上でも存在しそうな高分子ですが、PNAのモノマーの合成や、高分子化、さらには塩基配列なども含めた研究がこれから必要と考えられます。現在主流としてRNAが生命の起源にとっては重要のように考えられていますが、今はどちらが先に存在したほうが良いのかは分かっていません。
RNAワールドが重要だと言われていますが、核酸塩基の配列(コード)がどのようにして得られたのかについても未だに解決できない問題です。3つの核酸塩基で1つのアミノ酸を決定するという遺伝暗号の理由は2つの核酸塩基では20種類のアミノ酸すべてを決定できないことから、3つの核酸塩基が必要だったと言われています。mRNAの核酸塩基の3つの配列をコドンと呼んでいます。そのコドンに対するtRNAの核酸塩基の配列をアンチコドんと呼んでいます。例えばグリシンのコドンはGGU、GGC、GGA、GGGの4種類あり、アンチコドンはUCC、GCCの2種類によって決まっていますが(ここでA:アデニン、G:グアニン、C:シトシン、U:ウラシルです。)、どうしてそのような組み合わせになったのかというのが分かっていません。ある核酸塩基の配列を持つトリヌクレオチドに識別部位(tRNAの末端のアミノ酸と結合した核酸塩基から4個目の核酸塩基を指しています。)のヌクレオチドの4つの核酸塩基が水素結合により作る立体構造の隙間が1つのアミノ酸の側鎖の形と一致することによりアミノ酸を決定するという説があります。いくつかのアミノ酸では、この説を支持する結果を得ていますが、すべてのアミノ酸について検証実験はまだ行われていないようです。遺伝暗号の起源の問題は非常に難しい研究の一つと考えられます。
細胞膜の起源についてはほとんど研究はなされていません。界面活性剤はごく簡単に作られると思われていますが、脂質のような2つの疎水基を持つようなものは、合成が非常に難しいと思われます。また脂質合成はアミノ酸や核酸、糖類の無生物的合成と反応径路が全く違うのが非常に不思議なところでもあります。細胞膜には用いられる脂質の種類は多く、どうしてこのようにたくさんの脂質を用いる必要があるのかも分かりません。また細胞膜と膜蛋白質の関係なども細胞膜の起源からは興味のある所ですが、あまり研究例が知られていません。
まだまだ分からないことはほかにも種々様々あります。生命の起源の問題に粘土鉱物がどのようにかかわるのか、関係ないのかは分かりません。生命のような複雑な系を天然界でいとも簡単に作り上げているということは、我々がまだ知らない事実がたくさんあるのだろうと思います。しかし、我々が地球上に存在してるという事実があります。おそらく最も簡単で、合理的な方法が隠されているに違いないと思っています。生命の起源については様々な方面から研究がこれからも必要であると考えます。
参 考 書
柴谷篤弘、長野敬、養老孟司編(1991)講座進化5生命の誕生、東京大学出版会、東京、224p.
D. Voet and J.G. Voet (田宮信雄、村松正実、八木達彦、吉田浩 訳)(1992)ヴォート生化学(上)(下)東京化学同人、東京、1120p.
S. Bengton, ed., (1994) Early Life on Earth Nobel Symposium No.84, Columbia University Press, New York, 630p.