西山 勉
東洋大学経済学部社会経済システム学科
〒112-8606 東京都文京区白山5-28-20
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1. はじめに 2. 粘土と人とのかかわり 2.1. 人と土・粘土との接点 2.2. 土にみる文化 2.3. 時間との関係 2.4. 土・粘土の特性と活用 3. まとめ |
1. はじめに
粘土・土は大地として,大地がみせるさまざまな変化の場にあって,その変化を担い,また変化を促す存在として大きくかかわってきた。大地に立ったヒトはそのような粘土・土を含む大地に支えられた生活をし,また粘土・土とのかかわりを通じてその暮らしを大きく変えもした。
人は,大地に生じる万象をそのままにせず,その事象に興味を持ち,また大地に働きかけもして大地がみせる様子からさまざまに知識を得てきた。その知識を基に生活の場を広げ,生活様式や生き方を変え,さらに知識や認識をひろげた。
人は社会をつくって知識を蓄積し,共通認識を育てた。また生産活動を分業し,経済活動を活発に行い,活動を広げたが,その結果これまでに社会はさまざまに変遷し,盛えもまた衰えもした。土についてみれば人は今日大地に地球規模での都市化・砂漠化の変化をもたらし,土壌から土さらに岩石への無機化が顕著となる状況を作り出しているようだ。
その間にも土・粘土の一般的・普遍的な物質的特性は拾い出され,その特性の対比から,多様な粘土・土の世界が理解・認識され,また粘土の利用も変ってきている。
ここでは,どのように人は粘土・土とかかわったか,その断片をみる。またまとめで今意識したいことを示したい。
2. 粘土と人とのかかわり
2.1. 人と土・粘土との接点
人は生物である。その意味では人と粘土とのかかわりは,生物誕生と生物進化への粘土のかかわりに遡れよう。
生命の起源に果たした粘土の役割について,Bernal,J。D(1952)は粘土の有機分子を吸着する特性と触媒能そして結晶構造の特性は生物誕生に向かう化学進化に粘土がかかわったといい,ケアンズ・スミス(1989)は最初の生物はコロイド状態の微結晶の粘土鉱物であって,それを現在に繋がる生物がDNA生命の遺伝的乗っ取りをしたのだとの仮説を立てた。21世紀を歩み始めた我々は海底の濁った堆積物の中とか,水が溜まった地殻の間隙の奥深い部分など,地下の環境を生命の発祥地に指し示すとデヴィット・w・ウォルフ(2003)はいう。海底の堆積物,地殻の間隙は粘土が存在する代表的場所である。また生物から粘土鉱物が形成されるとの報告をKohlerら(1994)はした。
生物・生命の誕生・存在が地球外起源でないとすれば,地球が誕生した45。5億年前から5。5億年経過した頃の無生物時代に地球表面は空気・水(海)・土と太陽からのエネルギー,地底からの熱水が放出する環境での,その混沌状態のある状態に無機的有機分子から生体を構成する有機高分子がそしてさらには遺伝・生命をもつ有機体の誕生があり,その場にある粘土鉱物は偶然かそれとも必然かとの議論は続く。
ヒト科は霊長類から4,5百万年前に直立2歩行するアウストラロピテクが分化し,ホモ・ハビルスが2百万年前に石を加工して作った石器を使いはじめ,40万年ほど前には火を扱いはじめた。ホモ・サピエンスのネアンデルタール人類は50〜60万年前ごろから現れ、20万年前ごろヨーロッパに登場し中期旧石器時代のムスティエ文化(13〜4万年前)の担い手となったが,4万年ほど前に現生人類となる洞窟壁画を描き後期旧石器のオーリニャック文化をもつクロマニヨン人がアジアの西南部よりヨーロッパに入り入れ替わったという(奈良貴史,1998)。
2万年前の最終氷期の第2寒冷期の試練を耐えて,温暖期へ向かう1万5千年前ごろ日本地域では土を使って土器を焼き始めたようだ。粘土を焼いて作った動物の像などの土偶が2万5千年前頃のチェコスロバキアのドルニ・ヴィエストニッツェ遺跡から出土したが,ヨーロッパでの土器の出土は西アジアから7000年に伝わるまでないようだが、日本の青森県・蟹田町・大平山元汕竦ユの土器片が1万6千5百年前と報告され(朝日新聞,1999。4。17),関東・中部地方での縄文時代の草創期の土器は1万3千年前とされている。 2百万年前に開いた石器の文化から,土を焼き固める土偶・土器の文化が1~-2万年前に開かれたことになる。
古代の4大文明の1つメソポタミヤ地域では1万年ほど前に狩猟・採集の移動する生活から定住する生活が,そして9000年前ごろには大麦・小麦・豆類を栽培する農業が行なわれ,7000年前ごろには灌漑農業をはじまめたようだ。
エジプト地域では7000年前ころにナイル川流域で定期的に氾濫する土砂を利用した農業が,インダス文明は古代メソポタミヤと関係があるようだが7000年前頃にバローチスターン丘陵の麓で麦作の農耕文化が始まり,そして中国では7000−6000年前から黄土地帯を流れる黄河の中・下流地帯において竪穴式住居や泥壁住居で暮らしアワなどを栽培する農業を行ない始めた。
農業は森林など植物が生育できる自然を切り開いて,直接土を露呈させて食用植物を栽培する。栽培の管理に定住が必要で,集落を作り,共同作業などして,穀類根菜類など増産ができれば貯蔵し,余剰が生まれる。農耕は人口の増加を支え,富を生み,交易を高め,やがては都市を形成する基盤となった。農業はもちろん土が支えている。
土器も農業も土から成り立つが,西アジアの古代メソポタミヤでは定住し農業が行われてしばらくたってから土器が使われており,東アジアの日本の縄文では農耕に先立ち土器が使われているように,土器出現の様相は各地域により多様であり,その出現を特定の生活様式や生業と結び付けての一般化は無理のようだという(三宅 裕,1995)。
古代メソポタミヤ文明は,粘土板に葦の筆で楔形文字を刻み情報を伝達して社会を収め運営した。その始まりは5500年ほど前とみられ,イラク南部のシュメールの古代都市ウルクから初期の粘土板が出土している。9000年前の新石器時代はじめ小麦を栽培し,羊・山羊を飼育していた時代から,円盤から円錐の謎の粘土製遺物がトルコからスーダンのナイル渓谷まで広い範囲で,初期都市国家が成立する時代(5400年前ごろ)まで残っていて,この粘土製遺物をシュマント・べッセラトは「トークン」と名づけ,穀物の収穫・貯蔵の記録などに使い,経済の発展にしたがってその表面に記号が刻まれ,さらにトークンを粘土で包みその表面に中身の情報を刻むようになり,やがてその包みが粘土板の楔文字へと代わったという(ローレンス H。ロビンス, 1991)。
石が豊富な古代エジプトでは神殿やピラミッドが石で造ったが,石のないメソポタミヤでは古代都市を泥で作った。沈殿した土の上部から良質の粘土をとり土器や粘土板をつくり,下部の荒い砂などを含む粘土に麦藁を加えてレンガとしたようだ。良質の粘土を得るのに水簸も行ったようだ(E。キエラ,1958)。また大切な粘土板は焼き固め,また他国から石材を輸入して刻み込んだ。初期の日干し煉瓦は定住生活とともに1万年前ごろからみられ,8千年前ごろには土に麦わらを練りだレンガや堆積粘土を切り出したレンガで複数の部屋のある矩形建造物を作ったようだ(岡田保良,1995)。
古代メソポタミヤの日干し煉瓦でできた都市は,洪水などの自然災害,戦を含めた社会の衰退などで容易に構造物は崩壊する。大洪水では国土が全て荒廃しよう。楔形文字文学の「ギルガメッシュ叙事詩」にある大洪水物語は旧約聖書「ノアの洪水伝説」の原型とされ,メソポタミヤ遺跡調査によって2期の大洪水が実際であったことが堆積物から読み取れるようだ。最近2003年12月26日に発生したイラン南部地震によって砂漠の城塞都市遺跡でササン朝時代(3世紀から 7世紀半ば)の日干し煉瓦の城下町はほぼ全壊に崩壊している様を報道で見ると土文化の危うさの一面が強く意識できる。
なお,粘土板の文化は中国の紙の文化と唐の時代に接し消滅したようだが,今日製紙にクレー(粘土)を使うことを知ると土の文化の移りを感じる。また日干し煉瓦は後に焼成煉瓦も使われ,レンガを焼くための木材消費で森林生態系が崩壊し,それがインダス都市文明の壊滅の一因となったという(杉山二郎,1988)。
2.2. 土にみる文化
古代ローマの哲学者セネカ(5/4 BC-65 AD)は古代ギリシャのタレスが万物は水から生じたとするのに対して「エジプト人は四つの元素を定め,次に各元素に男女一対を作った。強固な地,たとえば岩や岩山を男性と呼び,われわれが御し易い,耕作に適したこの地には女性の名を当てている。」と反論した。エリアーデ(1968)は「大地・農耕・女性」の中でいろいろのハイエロファニー(hierofhany,神的なもの,祭られるもの)を検討し,大地,大地の神性,大母神に関する数多くの信仰,神話および儀礼が多くの民族の間に伝承されているが,あらゆる農耕社会における顕著な様相の一つは,大地の豊饒性と女性の多産性との間に見る連帯性である。ひじょうに長い時代にわたって,ギリシャ人もローマ人も,土壌と子宮とを同一視し,また農耕労働と生殖のわざとを同一視したと述べている。また地母神から農耕の大女神への転回は,単純な存在から生きたドラマへの転回を意味するとした。オリンピックなどで勝者が大地にするキスは大女神への感謝の行為であろうか。
清流な河川も洪水時には濁流と化し,巨礫をも動かし,河川床を深く撹乱する。1993年11月13日の午後から夜にかけて温暖前線が日本の南海上にある熱帯低気圧からの暖湿気流入で活発化し福島県南部でも大雨となり翌朝の久慈川水系は増水し,日ごろの清流が河合では赤褐色の泥流へと一変し,濁流は川幅いっぱいに流れた。ろ過後の水質はNa,Clは減少したが逆にKとNO3が増加していた(西山,1995)。
洪水時の水は土砂を含み重く,流れに力があり,大地の侵食・掘削・流出・かく乱を行い,大地の崩落・土砂崩れの要因を作り,地形を変え,地質を変える。大地の崩落・土砂崩れは水流だけの働きではなく,水を含んだ粘土は滑りやすく,粘土が傾斜地での土砂滑りのきっかけともなる。扇状地の上流域に棚田・千枚田があるのは傾斜地の崩落・土砂崩れが作ったもので,粘土は地形と景観に大きなかかわりをもつ。
中国山地の「たたら製鉄」は「出雲国風土記」(744)に記載されるほど古いが,江戸時代には砂鉄を含む山砂を水で洗い出す「鉄穴(かんな)流し」が確立し,斐伊川,日野川,高梁川,江の川などの上流部ではその人為行為で山の地形は変わり,廃土砂で棚田がつくられた。大量の濁流は大量の土砂を堆積し,下流域では洪水被害や農業用水被害が発生した(川上,2000)。
河川の清水が泥水に,また泥水が清水に変わる様は驚くべき自然現象の一つである。水が濁り,また澄むことを「液体の中の沈殿」と概念化し,長山(2004)は日本では「液体の中の沈殿」の上澄みの清浄,つまり「何も無いこと」「透明性」の方に力点が置かれ,一方西洋では沈殿物が出現する「実体」「存在」の方に力点が置かれたという。日本の天皇制(清明心)が千年を趣えて杜会の統含を柔構造的に維持してきたのは,個人・社会を貫いて,それが深層心理的な存在論にまで根を降ろしているからであり,また「素直」という価値規範を重視するのも,それが社会統治の装置―清明心を卑近な対人関係の規範に投影したものとした。なお,清明心という概念は弥生時代以来徐々に発達してきた稲作農耕時代の習慣,特に人工灌漑施設の建設と維持のために必要な地域共同体の習俗から生まれたと湯浅(1980)はいう。粘土の挙動となる濁りと澄みが弥生人に清明心を生んでいるとは,人の精神活動・構造の根本が自然事象のうちにあることの一例となるのではないだろうか。
泥と関係する祭りは今日の日本の各地にある。山形県藤島町の「地ふぶき祭り」(1月下旬),福島県三春町の「西方の水かけ祭り」(1月元旦),千葉県四街道市の「和良比泥んこはだか祭り」(2月15日),千葉県野田市の「三ツ堀のどろ祭り」(3月の己牛の日,平成2年から休止),埼玉県上尾市の「どろいんきょ祭り」(7月25日),高知県高知市の「どろんこ祭り」(4月の第1土曜日),高知県春野町の「トーデン祭り」(東諸木八幡宮の田植え神事)(4月の第1土曜日),愛媛県城川町の御田祭りをどろんこ祭りとして観光化(7月の第1日曜日),福岡県杷木町の「泥打ち祭り」(3月28日),佐賀県太良町の「泥餅つき」(9月22日),宮崎県西郷村の田代神社の「御田(おんだ)祭り」(7月の第1日曜日),鹿児島県日吉町の「せっべとべ」(田植え祭り),沖縄・宮古島の「パーントゥ」(旧暦9月)などである。お祭りは遊びの今日では観光の要素を強くもつが,泥祭りの多くは民俗信仰の農耕行事であって,舞台が神田,そして神田の泥を体に付け,それを洗うことで清められる,という内容となるようで,先の清と濁との関係まで演繹できそうである。
泥土の中に咲く純白な蓮の花に心の純化を見,宗教心は高められるだろう。また春先に土を盛り上げ芽吹く生命に生きている実感を,そして生きる力を授かることも多いだろう。農耕社会を経過してきた人たちにとって,生きる意味,生きる気力の根本は母なる大地・土にあるだろう。
2.3. 時間との関係
水に浮遊した土砂はやがて堆積する。堆積岩の構造と組織から地質学は多くのことを学んだ。細かいものほど後から沈む。一回の堆積過程では上部ほど細かい粘土分が堆積する。直径2μm以下を粘土とし,粗くなる順にシルト,砂,礫と識別される。粒度により水中の沈降速度はストークスの法則がある。懸濁の濁から清の変化ではなく,堆積した結果に目を移すと,堆積物(岩)には1回の堆積作用毎に上部に細下部に粗の縞ができ,その繰り返しの時間経過は縞縞模様となり,さらに地層累重の法則が成る。グールド(1990)は地質学が人類の思想に寄与した悠久なる時間の発見を理解するには時間の矢と時間の環に分ける二分法が実り多く,それは錯綜した歴史という現象を人が理解するために絶対に必要な原理であるという。その基本に堆積岩があり,粘土が存在する。
変化には時間が伴う。硬い岩石が風化作用で微粒子化して土ができ,植物が生育して土壌が形成される。生物の誕生以来35億年の悠久なる時間が経過し,ヒトが霊長類から分化して500万年,現生人類が現れて10万年ほど経過した。しかし,このことは現在が理解することであり,現在が悠久なる時間を理解している。
土がアスファルト・コンクリートで覆われはじめると土の地表面での物質交換は断たれ,土は呼吸を止める。そのような都会地では土が地表から消えることに等しく,そこに生育する動植物は土中に埋没し,やがて固結し,化石化して岩石となる。岩石から土ができ,土壌に生物が生育する関係とは逆の関係となる。現実はこの二つの流れの交叉するところにあり,だれも進んで化石となることは望まず,現実は両者が循環することであろう(西山,2001)。土・粘土はその循環にかかわっている。土を耕し作物を育てる生活は,日が昇り日が沈む間に見せる土と作物の変化と同期する生活であり。この時間の流れは自然のリズムであり,悠久なる時間に裏打ちされたものである。
粘土は粘つく土であり,それは水と土との合作で,その舞台は水田にある。日本での水田稲作の開始は。縄文時代から弥生時代への移りとされ,穀物貯蔵用の壷が登場し,その時代は2500年(紀元前500年)前ごろとされたが,最近微量試料で測定可能な加速器質量分析法(AMS)を使った放射性炭素(C14)による編年で,先の縄文時代の草創期と同様,ここでも定説より500年ほど前に遡り,すなわち3000年前に九州にて弥生時代が始まることになった。また,当時の墓(支石墓)から彫りの深い顔の縄文人を示す人骨がでた。このことから中国・朝鮮半島から九州へ伝わった初期の稲作は縄文人が受け手で3000年前となり,東海地方西部までへの伝播がこれまでの半世紀からゆっくりしたものとなった。弥生時代の編年は土器様式の変化でなされ,その一様式の変化が20〜30年とされたが,その間隔も長くなる。過去とは現在が理解・認識する事象であることをここでも痛感する。
弥生時代の稲作は田に種を直播したのかそれとも一旦苗代に播種して苗を田植えしたのかについて,木下(1988)は両議論を踏まえて北九州玄界灘沿岸地域に最初に水田が造成した弥生人は最初から田植をしたとした。稲作の初期は縄文人が担いかつ始まりが早まったとき,直播か田植えかの議論にも新しい知見がかかわるだろう。
縄文時代の粘土識別について,小林達雄(1996)は焼き物用の粘土は,自然状態の堆積物の粘土ではなく,通常適当な混和材を適度に混ぜ合わせ,十分にこねて素地を調整し,乾燥割れや焼き割れを防止するが,一方ではその混和材の種類や混合のしかたは文化的要素であって,それは地方ごと,時期ごとの流儀の問題だとして,果たして縄文時代に土偶用の粘土が土器一般用と区別されていたかを注目すべきと指摘し,実際にそのようにもみえるといい,焼成のあり方についても言及している。縄文世界の精神世界がどれほど土から読めるか興味深いものである。
滋賀県米原町の入江内湖遺跡から,縄文時代前期前半(約5500年前)に造られた国内最古級の丸木舟と木製漆器が出土した。縄文期の丸木舟は全国で多数出土するが,前期以前で完全な形での出土は鳥浜貝塚(福井県三方町)に次ぐ。丸木舟は全長5。47m,最大幅0。5m,高さ0。3m,材質は針葉樹であり,漆器は直径,高さとも20cm,厚さ約1cm,広葉樹を石器で削り内外に朱漆が塗ってあり,いずれも地表から約1m下の川跡で見つかり,保存状態が極めてよいという。丸木舟は粘土層が上下を挟むようにあり,丸木舟を流し埋没させた洪水層の粘土層が丸木舟を水と空気から遮断した結果,鳥浜貝塚と同様に良好に保存されたようだ(滋賀県文化財保護協会(2003),森川昌和・橋本澄夫(1994))。
湿原が作る泥炭地から出る谷地(やち)水は茶褐色だが透き通った鉄分とともに多くのフミン酸を含み,防腐剤としての効力を発揮し,泥炭地に埋没した物を長期間保存する(辻井達一,1987)ようで,土と水の関係は生物の誕生,生存にとってのみならず,その遺跡の保存においても重要となる。
2.4. 土・粘土の特性と活用
土にセクシャルを感じる人が女性に多いとの記事 (朝日新聞,1989。1。25)があって15年が経過する。同じ頃「ワトローペン」がオランダでは大流行しているという記事があった(朝日新聞,1988。10。28)。ワトローペンとはマッドウオーキングのことで引き潮時に現れる泥土を歩くことで,オランダでは国民スポーツとして親しまれているというのだ。日本でも静岡県の片瀬海岸から江ノ島まで引潮時に歩くことができる。また泥土は美容に良いとされ,イスラエル・ヨルダンの死海の底土や韓国の木浦の潟泥などが体に塗られている。現在も泥場は健康・スポーツに生きているようだ。
水質浄化にとっての葦原の働きが注目され,河川・湖沼・湿地そして葦はないが潟やマングローブなどの泥地の保護が叫ばれている。今日葦原は,環境浄化に貢献するところとの意識の転換が図られ,葦原をみて厄介な所から大いに心和む場所へと意識は変わった。
洪水時には懸濁液となった河川は河川敷や場合には堤防を越えて広い流域に溢れ,土砂を再沈殿する。流れが強い水は土を浸食して懸濁するが,流れが弱くなると懸濁した土を沈降・堆積する。その際に植物にとって養分となる窒素,燐酸,カリ,石灰などを他所から運び込んでくる。植物の輪作も可能となる。農耕にとって洪水はありがたい一面もある。
粘土の字の如く,土は水分を含むと粘る性質がある。粘土は,土壌関係では直径2μm以下の粒子を粘土(clay)と定義するように,微粒子である。重さ嵩が同じでも微粒子になるほど表面積は大きくので,粘土粒子の表面特性が現れる。多くの粘土粒子の表面は親水性である。かつまた,粘土鉱物は薄い平板な形態が多く,かつ平板面に沿って剥離する性質をもつ場合が多い。これらのことは水が加わると粘り滑る日常生活では困った性質が粘土にでてくる。しかし,このような性質,特性を巧みに利用して粘土を有用材として意識的なかかわりもしてきた。
土をいじったら手を洗えと子供に言うのは破傷風などの病原菌が土にあることを心配してだ。土にはさまざまな生物が地下4~5kmもの深さまでいて、113℃まで生きる超好熱菌,2000気圧まで耐える菌などの極限環境微生物など地下生物圏に広がっていて、土は微生物資源の宝庫ともなるようだ(ウォルフ、2003)。
土が素材となる酸性白土は石油類の精製特に脱色・脱水などに有効性が認められ近代産業においる機能物質として広く多用途に用いられ(小林久平,1918),その機能性は今日の産業と暮らしを支える多様な高機能材を連想できる。
もちろん今日でも粘土自体が直接あるいは間接的に支えている製品・材料は瓦,レンガ,陶磁器,セメント、土木・建築用材,有機複合材,化粧・医薬用素材,潤滑材など多方面にわたる。なおここで、このことと、このことを含めた粘土全般についての案内書を4点紹介する。『粘土の世界』(日本粘土学会編、KDDクリエイティブ,1997),『粘土とともにー粘土鉱物と材料開発』 (古賀 慎、三共出版、1997),『粘土のはなし』(白水晴雄,技報堂,1990),『土を見つめるー粘土鉱物の世界』(須藤談話会編、三共出版、1986)。
さて,粘土は主に無機物・無機化合物からなるが,それは決して固定した化学成分とはならない。土中の粘土鉱物の多くは層状アルミノ珪酸塩に分類されるが,通常の鉱物に対し種の示す特性の幅は広く,たとえば同種の粘土鉱物でも存在場所によって化学組成の変動し,同形置換は常に認められる。
そのような特性の幅が広い粘土鉱物を意識して,須藤(1974)は『粘土鉱物論』の中で「中間性粘土鉱物論」を興し,つぎのように整理した。粘土鉱物の諸性質は極めて多様であり,粘土鉱物は古くから何れの分類枠にも的確に属さないものが報告されており,A,B2つの鉱物種の中間的性質を示すような粘土鉱物を「中間性粘土鉱物」と呼ぶとした。さらに中間性粘土鉱物は,「混合層鉱物型の中間性鉱物」と「偏倚型中間性鉱物」の2つに大別できるとした。前者は層状構造を持つA粘土鉱物の構造層Aと同じくB鉱物のB層があり,それらA層とB層がさまざまな状態の確率関係から成り立つ粘土鉱物をいう。後者はA粘土鉱物のA層の性質が多少変化したものでA様鉱物と記載されるとした。須藤は混合層鉱物の成分鉱物には,偏倚性があるという一般性が認められるので,「・・・様」という表現を同書では省略したが,概念的には両者は異にする重要な内容を持っている。
さらに須藤は同書で地形学,土壌学においてdegradation,aggradationが用いられ,地形学では前者は河川の浸食作用,後者は堆積作用を意味し,土壌学では前者を1つの土壌型がより風化の進んだ土壌に変わる意味に用いられ,粘土鉱物学では前者を粘土鉱物結晶の崩壊過程の意味がそして後者は結晶の成長過程を意味し,さらに前者は下降進化(退化)の意味に,後者を上向進化の意味に用いられると紹介した。思考・吟味すべき内容がある。このことと関連して先に触れた風化作用と続成作用がある。前者は岩石が微粒子化することで,後者は逆に微粒子が固化する方向を指す。これらの事項は大地・土の理解に大切であるが、同時に大地より学んでいる人の思考に深くかかわりをもつ事項だとも思う。
さて,中間性の性質は土・粘土に付随する特徴的性質と思われる。次の中間土の捉え方も共通概念が働いているようだ。建築・土木分野にて土質を実際に扱うとき,土は非常に複雑な性質を有し,問題別に異なる方法,たとえば土を全く挙動の異なる砂と粘土に分けて取り扱うが,実際はその中間的な性質を示す場合が多く,そのような土を中間土とされる(中間土編集委員会,1992)。
土を素材として陶器などを作る窯業に対して,高機能な材を作るファインセラミックスがある。ファインセラミックスにおいては,自然物がみせる中間性を脱して単一性を求める。自然界ではごく普通に複雑と表現される中間的特性が一般的であるから,自然物・天然原料を分離・精製・加工・合成などの処理を行い、その特性を引き離し新たに制御可能で法則に従う物質群に作りかえる。
一方自然物は地域性・個性をもつ。そこで天然原料はそれぞれに個性があり中間的特性があって,そのことを意識すれば個性のもつ価値が引き出せる。文化・芸術・個人的と表現される内容がある。
複雑さを単性化してその後に複雑を理解・模そうとする思考・態度と,複雑さをそのままにめでようとする思考・態度があるならば、大地・土から完全になれていない私たちはまだ両者の立場を取りえる中間的生物ではないだろうか。
3. ま と め
優れた狩人は獲物の行動を土につけた足跡から知る。どのような動物(種類,大きさ,健康状態など)が,どちらからどちらに,何時歩いたかを判断する。周りの土を握り締め,砂質か粘土質か,また水分の程度,硬さなどの土質から判断するという。また陶工がロクロの上で粘土塊を見る間に器に造形する様をみると驚きと,すでに古代メソポタミヤで開けた粘土による情報伝達の世界・縄文土器など練れた造形文化が思い出される。
今日の管理されたレンガ,耐火煉瓦,タイル,陶磁器などの工場では原料の配合,成型,乾燥、焼成などを諸測定装置からの計測データーに基づいて進める。熟練した現場の人は配合した成型前の原料を手に取り握り締めてその水分など諸特性を全体として知ろう。
このように土を扱い関心を持つ人は地球環境が無機的都市化、砂漠化など進行する現在を生命を宿す大地に取って危いとの共通認識をもとう。今日社会が目指す選択として「持続可能な発展」そして「循環型社会」が叫ばれている。それは私たちの文明が石文化―土文化―金属文化―化石エネルギー文化とその中心が移り、そして今情報化文化を情報処理チップが担おうとするその情報処理チップに「持続可能な発展」を託すことになる。同時に社会に衣・食・住が不足せず,周囲の景観・音景(音風景)・触感がうるわしくありたいと、環境学が提案する「循環型社会」を希求し,悠久なる時間も今にあるとの認識を強くし、思考・行動することである。
自然を背景とする古代ギリシャの野外劇場に世界や自然のあり方と人間やその行為のあり方との分かちがたい一体性,そこに古代ギリシャ哲学の希求があると藤原令夫(1980)はみたが,その古代ギリシャを遡る古代メソポタミヤの,そして日本の縄文・弥生の土の文化に現代文化に通ずる根本があると意識する。
文 献
Bernal,J. D(1952)生命の起源ーその物理学的基礎,山口清三郎・鎮目恭夫訳,岩波新書.
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エリアーデ (1968) 大地・農耕・女性,堀 一郎訳,未来社.
岡田保良(1995)建築文化初期段階の住居と集落―北メソポタミア・ザグロス地方を中心にー,江上波夫監修常木晃・松本健編,同成社,33-48.
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