| 1960年代後半に起こったフェミニズムは英文学の分野にもさまざまな変革をもたらし、キャノンの読み直しと、埋もれていた女性作家の再評価を促した。エリザベス・ギャスケル再評価もこの機運に乗って盛んになり、今日では、書簡・日記等一次資料の重要なものはすべて印刷され、作品は厳密な校訂が行われて、権威ある新しい版が出版されるに至り、本格的な研究の条件はほぼ整ったと思われる。英国においては1985年にギャスケル協会が設立され、日本においては1988年に日本ギャスケル協会が創立されて、ギャスケル文学の研究と研究者の育成に専念し、全7巻にわたる『ギャスケル全集』の刊行、研究書の上梓などの成果をあげて今日に至っている。 ギャスケルの文学はなだらかな連山のようにわたしたちを招く。美しいものに触れる歓び、女性の人生哲学、生活の現場を踏まえた社会批判、そして懸命に生きるものたちへの賛歌が、そこにある。しかも山襞には、怨念の籠ったゴシック物語が隠されている。探求すべき課題は多く、奥深い。しかもなだらかな山々は意外に手ごわいのだ。それは一つには彼女が的を中流階級に絞っているためであろう。下層階級には上昇の夢がある。美貌と才知を利用して、品格も倫理もものかは既成社会に殴り込みをかけよう、という痛快さがある。上流階級には墜落の夢魔がある。地位が高ければ高いほど墜落の眩惑は大きい。王妃の位にある者の捨て身の恋は、読者をわくわくさせる。しかしギャスケルの登場人物は中流階級である。失うものは客観的にはそう大きくない。過ちによって一国を失うことはない。だが、登場人物にとっては、かけがえがないものなのだ。世間の評判とか、相手の感情とかいう「取り返しのつかないもの」を守ろうとして、彼らが自己に課す律は厳しい。ギャスケルは秩序の撹乱を企てず、現状を守ろうとする中流階級の苦衷を、愛情を込めて描いている。登場人物が踏み外すまいといじらしく努力する姿からは、制度の欠陥が見えてくる。ヴィクトリア朝中期の現実を描いたギャスケルの文学は、ポスト・コロニアルを含めた世界の場で今後ますます読まれ、愛され、論じられていくであろう。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 このたび山脇百合子初代会長から日本ギャスケル協会会長を引き継ぐことになりました。協会にとって初めての会長交代であり、責任の重大さを痛感いたしております。培われた良き伝統を受け継ぎつつ、会員全員が自由に意見を語り、力を出し合う組織にしたいと念願しております。どうかよろしくご支援、ご協力下さいますようよう、お願い申し上げます。 |