ギャスケル文学の特質
1965年にエリザベス・ギャスケル死後百年を迎えた英国では、改めてギャスケル夫人の文学的業績を再確認しようとする研究が行なわれている。たとえば、文芸批評家アーサー・ポラード氏 (Arthur Pollard) の『ミセス・ギャスケル−−小説家と伝記作家』という研究書では、ギャスケル夫人を従来なされてきた評価よりさらに高い地位に引き上げようとする努力がなされている。「1965年のミセス・ギャスケルの評価はどうであろうか」というのがポラード氏の研究の目的である。 20世紀のムードはエリザベス・ギャスケルにとって好ましいものではない。彼女の小説における調子は洗練されていなくて、流行おくれである。彼女の小説の型は知的整然さも簡潔さももたず、会話的でもない。そして、因習に対してはすでに我慢のならなくたっている現代の文化は彼女の小説にもう調子を合せられなくなっているようである。1果してコリンズ氏の主張するようにギャスケル夫人は20世紀の我々の感覚には触れることのない時代おくれの作家として決定してしまうことができるであろうか。ヴァージニア・ウルフ等を筆頭として、20世紀初期の作家たちは人間生活の外面を描くことに背を向け、人間の意識の奥底に深く沈せんして、目に見えない意識の流れをさぐっていく心理面の探求へと新らしい道を開拓していた。この大きな流れの中で約1世紀前の一人の平凡な婦人の社会生活の描写は古びて色あせた写真のように影を失いかけていた。しかし、はたしてギャスケル夫人のもつ、他に類を見ないほどの人間への限りない愛情、単純とも思える人間の善意に対する信頼−−そこから生れた香り高い人間性の創造、これらを文学上の価値のないものとしてしりぞけることができるのであろうか。 コリンズ氏はギャスケル夫人の作品を表面的にのみ理解して「経験を重視しすぎた」作家というような不当た評価を彼女にあたえた。 しかし、ギャスケル夫人の文学的価値を高く評価しなかつたかに見えるコリンズ氏さえ、次のように彼女のもつ真価として数々の要素をあげている。 しかし彼女は、エリザベス・ギャスケルとしての一つの確固とした真価を示している。すなわち彼女の敏感さ、人間性への同情、ユーモアと快活さ、複雑でない人物に対する直感、とりわけ英国の自然の美しさに対する強い感情などがそれである。2たしかにギャスケル夫人の描いた小説は人間性の善意の本質にその根底をおいている。基本的に単純さを信条とするギャスケル夫人の小説を評価するにはやはり批評家の単純な心を必要とする。ポラード氏は「現代の批評は偽の複雑さを探求することにあまり熱心で、それらの批評家のたわごとに我々はまどわされがちである。」と述べている。ギャスケル夫人の真価はそれらの現代の批評家たちには認められなかったことは当然のことであるように思われる。 ギャスケル夫人の文学はすべて、単純とも見られる人間の善意の上にうち立てられた。『妻たちと娘たち』の中の一節「モリーにとってこの時『善意』のみがこの世で唯一の永続するものに思えた。」という言葉こそ、彼女の文学的信念をあらわすものであろう。そして、ここにこそギャスケル文学の勝利の決定的な鍵があるということができる。 同じ19世紀の文豪サッカレーは「芸術としての第一の資質は寛大な心をもつことである」と述べているが、3 ギャスケル夫人にこの徳性を否定するものはいないであろう。長いこと英文学史上で保ってきた二流の地位から、さらに高い地位に彼女の文学史上の場をおきたいというポラード氏の要望は、現代の一般の読者の要望とも一致するものであると思える。 妻として、母としての任務を完全に果たした上で、彼女は文学の道を大成させたのであるが、彼女にとって母として、妻としてのつとめは、彼女の文学に現われた人間性のあたたかさをより深めた重要な要素になっていた。 家庭婦人としての愛情がいかに文学に人間的深みをあたえるかということを確信していたギャスケル夫人自身の非常に興味深い言葉を彼女の書簡の中に見出すことができる。 この手紙は、名前は未詳であるがある若い女流作家志望の女性に1862年9月25日におくられたものである。 「私がごく幼ない子供たちをもっていた時には、小説が書けたとは思えません。なぜなら、私の現実の人々の世話をするのが精一ぱいで、架空の登場人物にかまっていることはできなかったでしょうから。けれど、まったく芸術的見地からこの問題を考えると、優れた小説家は、小説に力と生命力をあたえたいと思うなら、活動的で同情的な生活を経験しなければなりません。あなたが女流作家としての才能をお持ちなら、あたたが40歳になる時に、現在よりも10倍もよいものを書けるでしょう。なぜなら、妻として、母としての様々の関心を経験し得るからです。」4架空の人々と現実の人々との間にはさまれる緊張感は、彼女の人生の終りまで続くのであるが、彼女自身認めているように、彼女の生活をより活動的にし、より同情的にした現実の人々の要求は、彼女の作品をはかり知れないほど豊かにしたのである。 イヴォンヌ・フレンチ女史はギャスケル夫人の「同情心」こそ彼女の作品を特徴づけるものであるとして次のように述べている。 ギャスケル夫人は、ミス・マーティノーのような哲学者ではなかった。彼女はジョージ・エリオットの力強い把握力にも欠けていた、ブロンテ姉妹の燃えるような想像力にも欠けていた。彼女もまた生々と創造したが、彼女の創造物はよりせまい状態から生れている。即ち、彼女の作品は知識から生れたもので、経験の範囲に限られていた。天使はギャスケル夫人に何を求めたのであろうか?他の作家たちには描き得なかった限りない人間愛を作品に描き出すことによって彼女は天使の要望にこたえたといえる。 イヴォンヌ女史は彼女の作品は「知識から生れたもの」という。しかし、知識だけでは芸術にはならない。俗文、雑文になる。しかし、彼女には天与の愛があった。愛は神からくるものである。「知識」や「経験」にとらえられすぎていたというより、「同情」「愛」は主観的、本能的なもので客観性が乏しいのだ。しかしギャスケル夫人の静かな聰明さは「同情」「愛」をそのまま描きうつし、それらを原動力として人間の悲惨を描きつくし得る、他の作家とは別の大きな特質をもっていると言えよう。 それによって他への愛に心が満ちていなくてはできない一つの文学創造の方途を自然にうみ生かした。これを二流というのは、そういう資質を与えられていない側からの評言であるといってよいであろう。 イボンヌ・フレンチ女史は、ギャスケル夫人の作品は、もっとも偉大な作家にもめったに見られない美徳を反映している、と述べてさらに前述の著書において次のように記している。 彼女の心の掟は決して新らしいものではないが、彼女の心にとって単純で、明瞭であった。それは三つの根本的要素から成り立っている。すなわち、『信仰、希望、愛』であった。彼女にとってこの中で一番大事なものは『愛』であった。善意の世界を現実の世界にもたらしたことこそ、ギャスケル夫人の成しとげた最高の文学上の業績である。彼女はわれわれに善の世界を確信させたのである。 ギャスケル夫人の研究家、スタントン・フィットフィールド氏の彼女にあたえた讃美の言葉をもってこの項の高貴なピリオドにしたいと思う。 「彼女は『罪のない者は傷つくことはあり得ない』ということのために戦った者であり、また星をちりばめた空の神秘に向って目を向けていた者である。そして、彼女のバイオリンの糸が切れたとしても、そのやさしく、哀調のある調べは、人間の生の歳月にひびきわたり続けるであろう。」6
叡知の文学
エドガー・ライト氏が指摘しているように、「直感的作家」あるいは単なる「ストーリー・テラー」という評価はエリザベス・ギャスケルには適当ではない。狭い世間しか知らなかった一女性の面白いおしゃべり話という見方もされていたようだが、エリザベス・ギャスケルはこのような通俗概念とははるかに遠い存在で、一つ一つの作品で彼女は人生の真相を根底まで探求し、これを把握してうきぽりにしたのである。広い範囲の人間層をミセス・ギャスケルほど明確にとらえて生き生きと描き得た作家はまれである。彼女は人間の根源の生命を把握し得る文学者としての最高の本質を備えた作家である。工場主、労働者、農夫、田舎娘、牧師、技術者、漁夫、医師などの様々の登場人物を実にリアルに描きわけた点でも英文学史上特異な存在である。 表面の相異がいかに大きくても、エリザベス・ギャスケルの各々の作品は、失望や苦難に直面した時の人間の明るい弾力性の探求ということに帰一する、また明らかに悲劇的な事実に意味をあたえるようなある哲学あるいは心の態度の探求に帰一するのである。8エリザベス・ギャスケルは人間生活の失意や災難に対して目を覆うことなく、事実を直視し「いかに生きるべきか」という人間の根本間題に立ち向って行ったのである。このような作家態度には今まで時折間違えて真に理解しなかった批評家がギャスケル評に用いた「なまぬるさ」という形容詞の入る余地はないのである。考え方がなまぬるいのでなくて純粋なのである。視野が狭いのでなくて深いのである。個性の強さの点で欠けるものという従来の批評はもっとも当を得ないものであって、彼女ほど世俗と妥協しないきびしさで人間の生き方を探求して行った個性的な作家は数少ないといえる。 ロード・デイヴィド・セシルは『ヴィクトリア初期の小説』という研究書において、エリザベス・ギャスケルを非常に女性的な、個性の弱い作家として次のように評価している。 平和な家庭生活の修道院に閉じこめられていたので、彼女は世間に対する若い少女のもつ熱心な反応の心を決して失うことがなかった。ミセス・ギャスケルは遊びにあきた大人に成長する機会をもたなかった。彼女の精神的好みは、いわば常に幼女時代の果実やあわだつミルクを好み、幼女時代の単純さと趣味をもっていた。9ロード・デイヴィド・セシルのこの批評は決してエリザベス・ギャスケルの真価を把握したものとはいえない。家庭を離れての数回にわたるヨーロッパ旅行を為し、また最高の知識階級のサークルと交っていたミセス・ギャスケルの精神が修道院に閉じこめられたまま大人にならなかった少女の精神と同じであったとは考えられない。スエーデンのエリザベス・ギャスケル研究家で特にエリザベス・ギャスケルの女性観の研究で著名たエイナ・ルベニウス女史は『ミセス・ギャスケルの生涯と作品における女性問題』という研究書の中でロード・デイヴィド・セシルのさきにのべた見解に反論して次のように述べている。 事実はロード・デイヴィド・セシル氏の想像した生活とまるで逆であった。教育や社会改革に関する非常に多くの新しい意見が生れた政治的進歩主義の活発な中心地であったマンチェスターのもっとも文化的な家庭の一つに生活していた彼女が、結婚以来閉じこめられた生活などしていたとは決して考えられない。10さらにルベニウス女史はつづけて、後年『シルヴィアの恋人たち』、『妻たちと娘たち』、『従妹フィリス』をミセス・ギャスケルが書いた頃は、彼女はフランス、イタリア、ドイツヘと長期間の旅行をするような習慣になっており、「その頃には彼女は遊びあきた大人になる多くの機会があった」と述べている。11 事実イタリアで知己を得て生涯精神的に心の友となったアメリカの青年評論家との交友はミセス・ギャスケルの心にさらに大きな世界を展開していったと思われる。 またロード・デイヴイド・セシルはエリザベス・ギャスケルの筆致を他の作家とくらべて弱いものとし「油絵画家でなく水彩画家の趣である」とし、12 それ故「二流作家」と判定している。またさらに「彼女の想像力は果樹園の樹々や森の樹木のようでなく、ただ、流行おくれの庭の花を咲かせるだけ」と述べて、13 ギャスケル夫人の文学精神に狭い限界を与えている。 虚偽も誇張もなく、現実の中核まで掘り下げたエリザベス・ギャスケルの文学の中には広い範囲の人間たちが息づき、悲哀や苦悩は人生そのままに大海原の波のうねりの如く読者の心を圧するのである。これを水彩画の単純な色調と呼ぶことは不適当であろう。また、彼女の想像力は人間精神のすみずみまで適確にとらえ、時代をはるかに越える永遠の人間像を探求してその作品に描き出したのである。彼女の作品にはロード・デイヴィド・セシルがギャスケル夫人の特質とする女らしい弱々しさ、ものたりなさは見当らない。常に世の中と妥協しないたくましい強さと勇気、何ものにもひるまない高貴な魂の激しい戦いこそ彼女の文学精神の特質といえる。 ウォルター・アレン氏は「彼女のおだやかさは力強くて勇敢な社会的良心と共に存在した。」と述べている。14 ウォルター・アレン氏のいう「力強くて勇敢な社会的良心」はロード・デイヴィド・セシルのいう女らしさ (femininity) とは全然対照的な性格のもので、この真実を呼びおこす「勇敢な社会的良心」こそギャスケル夫人の心の掟であった。 エリザベス・ギャスケルの文学は直感に頼った感情の文学という見方に対して、もう一歩すすめて、霊的の極限に通ずる叡智の文学であるという見解がとられるべきであると思う。ミセス・ギャスヶルは人間性の根底に善の可能性を信じた。人と人、一つの階級と他の階級、若者たちと老人、男と女の間にある断絶を彼女はお互いの「同情心」をもってとりのぞくことができると信じていた。この世における「愛」の可能性という普遍的な問題にミセス・ギャスケルは彼女の文学の方向をすすめて行ったのである。 処女作『メアリ・バートン』において、労働者の苦しみが次々と激しく展開されて行く中で、副人物で、平凡な貧しい人、ジョブ・リー老人は、労働者と資本家という二つの階級の対立の中に立って、苦しむ者へ同情の目を開くようにと工場主のカースン氏にじゅんじゅんと説くのである。ジョブ・リー老人がカースン氏に訴える言葉の中に次の一節がある。 私はこういうことは、はっきり知っている。神が贈り物を与えて下さる時は、果すべき義務もつけて下さる。そして幸福な人の義務とは、苦しむ人がその不幸を耐えるのに手を貸すことだということを」15ジョブ・リー老人のこの言葉には想像も誇張もない故に強い力をもって資本家カースン氏のかたくなな心をときほぐして行く。ジョブ・リーのような貧しい平凡な老人に神のような愛の心をあたえて『メアリ・バートン』の中で人間同志の無理解をとりのぞく鍵を示しているのである。ごく素朴な人間に人生の至難な問題を解決する人生の叡智をあたえていることは、ミセス・ギャスケルの文学の中で、ことに注目すべき点であると思う。 銀行が破産して財産が全部なくなることになった時、自分の苦境よりなお自分より困っている人を助けることしか考えない名作『クランフォード』の中のミス・マティー。これらの人々は、ごく月並な人間だが、その魂は「夏の空のさわやかさ」に通じ、人間界のはるか上空に棲む天使の姿を思わせる。この高貴な魂の世界を、単に直感の文学と名づけてしまうことはミセス・ギャスケルの文学テーマの深さを正確に理解しないことになると思う。人間の霊的極限に通ずる叡智の文学であるという研究目標こそは、現代のミセス・ギャスケル再評価の第一におくべきである。
卓抜なテクニック
1965年に同時に出版されたアーサー・ポラード教授とエドガー・ライト氏のエリザベス・ギャスケル研究書で、共通してもっとも強調されているエリザベス・ギャスケルの文学的真価は、彼女が小説家としてのテクニックを修練によって身につけた知的な現代的作家であるということである。 毎日、あなたの人生は、あなたを生きた男や女たちと接触させます。あなたが彼らの生活のなかによい筋をつくれるような複雑な出来事を想像できるかどうか考えてごらんたさい。・・・筋は発展して危機にまで高まって行かなくてはなりません。この事件の発展と進行に貢献しない人物は一人も紹介してはなりません。筋は画家が骨格を描写するようなものです。彼はその人物に身づくろいをさせるよりずっと以前に、また筋や血肉でおおう前に、彼の骨格を知らなくてはならないのです。あなたの小説の筋をよく研究なさい。・・・あなた自身、あらゆる場面とあらゆる事件の観察者となったとしてごらんなさい。ただあなたがあなたの物語を生き生きと目に浮ぶまで真剣に考えれば、よい簡単な強い言葉が浮んで来るのです。あたかもあなたが街であなたを強く感動させる事件に出会ったなら、それを力強く描写するであろうように。」21「作家は彼の描く人物の骨格をまず知らなくてはならない」というミセス・ギャスケルの作家としての信念がここに披瀝されている。彼女のいう骨格とは、人物の魂をつつむものとしての骨格で、いいかえれば、その人物を魂の奥底まで把握して生き生きと描き出すのが作家の使命であるという意見である。さらに換言すれば、人間の眼に見えない作中人物の心の一番奥のひだにまで光をあてるということであり、真実の人間の姿をうかび上らせるということでもある。ここにエリザベス・ギャスケルの文学的なテクニシャンとしての自信がうかがわれる。この文学者としての境地は想像力の卓越したものにのみあたえられることはいうまでもない。 エリザベス・ギャスケルの想像力は彼女をテーマの多様性という分野にのり出させたばかりでなく、作家としての技法をゆるぎないものとして行ったのである。 「あなたの物語を生き生きと目にうかぶまで真剣に考えれば、よい簡単な強い言葉が浮んでくるのです」というエリザベス・ギャスケル自身の言葉は、彼女が単にもって生れた直感的才能にのみたよって書いた作家でなく、作中に描き出したあらゆる素材を、彼女の想像力の中で、いかに真剣に考えるかという修練に精魂を傾けつくしたことを実証している。 彼女は想像力の世界の中で、実際に経験しない実人生の経験を、実人生以上に体験し、再現し得る特殊な天才的精神の持主なのである。彼女と同時代の女流作家でギャスケル夫人ともっとも関係の深いシャーロット・ブロンテも同じ天才的素質をそなえた作家であった。シャーロットの同じ信念をギャスケル夫人の『シャーロット・ブロンテの生涯』から引用しておく。この言葉はシャーロットの生前シャーロットが直接ミセス・ギャスケルに語った言葉である。 「自分の経験しなかったことを書くときには幾晩も幾晩も眠りにおち入る前に、そのことについて真剣に考えるのです。−−それはどんなだろうか、どういうふうになるのだろうかなどと−−そしてついに物語の進行がこの一点のために何週間もおくれたあと、ある朝、その経験を自分でしたように、すべてが明瞭になって目覚めるのです。そしてそれが実際に起ったことのように、ひと言、ひと言、描写することができるのです。」22同時代に世に出た二人の女流作家の吐露した信念の中に作家としてのまったく同じ真剣な修練の苦しみがうかがえるのは興味深い。 19〇〇年に『ミセス・ギャスケルとナッツフォード』という研究書を出したギャスケル文学研究者として著名なジョージ・ペイン氏は、その著書の中で、ギャスケル夫人がシャーロット・ブロンテを評した言葉を引用しているが、この言葉そのものがギャスケル夫人自身の文学的信念とも思えるので次に引用する。 シャーロット・ブロンテは作中人物を実人生そのままに描くことによって、リアリティの極致に達しています。これらの言葉はまったく彼女自身にふさわしい。なぜなら、彼女の作品より以上に人物が真実に描かれることは稀であるし、また普通の生活の情景がより生き生きと描かれていることは稀だからです。23エリザベス・ギャスケルは、シャーロット・ブロンテの作品を高く評価していたが、その根拠はシャーロットの作品がリアリティの極致に達していたからである。シャーロット・ブロンテを深く研究するものは、『ジェイン・エア』の中に流れるロマンティシズムよりも、その背後にいかにシャーロットがリアリズムに徹して作品を書こうと努力していたかという文学者としての、彼女の姿勢に気がつく。 19世紀初期はロマンティシズムの文学精神が文壇を支配していた中で、この二人の女流作家がリアリズムにゆるぎない地盤を見出そうとしていたことは看過できない事実である。 エリザベス・ギャスケルのリアリズムに徹した技法は当然、表現の単純化ということにつながってくる。197〇年に最新のエリザベス・ギャスケル研究書を出したジョン・マクヴェイ氏も、その著書でギャスケル夫人が誇張と虚偽とをしりぞけて真の実人生を描き出した率直さをその特質として強調している。24 ロンドン大学の英国小説研究者ティロットソン教授もそのすぐれた『メアリ・バートン』評においてギャスケル夫人が実人生をいかにそのまま描き出したかを賞讃している。25 人間生活のあらゆる世界をそのままにとらえて人間の本質を誇張なく描くことによって、作中のどの事件もわざとらしさがなく身近におこることのように感じられてくる。すでに処女作の『メアリ・バートン』においても、主役のジョン・バートンやメアリ・バートンは言うに及ばず、副人物のミセス・ウィルソンやサリイ・リードベター等も非常に明確にリアルな人物として描かれている。どの登場人物もいかにその役割が小さかろうと道徳的価値の深さをにない、社会環境の必然的な産物として描かれている。 ティロットスン教授の言葉によれば「この誇張されない真実が信頼を呼び起すのである。」26 そして我々読者は、ギャスケル夫人の描く大きな騒動、たとえば『メアリ・バートン』の中のマーシー川の追跡、殺人訴訟事件を平和な村クランフォードの小さな田舎銀行の破産事件と同様に日常生活にしばしば起って我々人間の試練となるごく身近な事件としてうけ入れられるのである。 ミセス・ギャスケルがいかにリアルな表現法に卓越していたか、その例は彼女の作中いたるところに見出されるが、次にその数ヶ所を引用してみたい。エリザベス・ギャスケルの後期の作品の中の傑作田園小説『従妹フィリス』の最初のぺージを開いてみると、情景描写の適確さに驚嘆させられる。17歳で鉄道技師の助手として独立の仕事につき、初めて下宿に一人住居をした青年が、その部屋の感想を述べるところは、ギャスケル夫人独特のユーモアのふくまれた情景躍如たる文章として強く印象に残る。 「私は食物を小さい片隅の戸棚へしまいこんだ。−−この部屋はどこもかしこも隅ばかりだった。だんろも窓も戸棚もあらゆるものが隅にしつらえてあった。真中にあるのはただ私の体ばかりのように思われた。しかも、その私の体をおく余地も十分なかった。」27内面感覚の鋭さが、キラキラ光っている描写である。部星の真中にあるのは自分の身体だけと書きながら、すぐ続けて「しかもその私の体をおく余地も充分なかった」とユーモラスでピタリとした描写がつづく。 またポールが始めてフィリスに会った時のフィリスの17歳の清らかな少女の描写は非常に鮮明で印象的である。 「そこで私は始めて会ったのだ−−フィリスに。傾きかかった日が真正面から彼女に射しかかり、内側の部屋に斜めの光を投げた。彼女は何か濃い紺色の木綿の服を着ていた、咽喉もとまでその襟がしまり、手首まで袖がとどいていた。白い肌の際には、ともぎれの小さい縁かざりがついていた。その肌は本当に白かった。そんた肌の色を見たことがなかった。黄色というのが一番ふさわしいようなうすい色の髪の毛をしていた。大きなおだやかな眼で、不思議そうに私の顔をじっと見つめた。しかし、見なれない客の姿にとまどった様子もなかった。」28フィリスの清潔な上品さ、もの静かさ、少女らしい無口なおとなしさ、少年来訪者への娘らしい注意の仕方の描写はすぐれた筆致ですすめられる。『従妹フィリス』を最後の作品『妻たちと娘たち』とともに著名な批評家のエドマンド・ゴス氏が英文学の中でもっとも完壁に構成された小説の一つだと賞讃している。 また、短篇小説の代表作の一つ「地主物語」でも罪悪の化身の青年をミセス・ギャスケルは完膚なく解剖し、短い作品の中で巧妙に描き上げている。また村の美しさ、平和の姿が恐ろしい事件と対照的にきわめてこまかく正確なタッチでとらえられすばらしい田園風景が描き出されている。悪を見る眼はきびしく、生ぬるいところは微塵もない。村人全体をとらえて描く視野は豊かである。小さた村の平和と一人の人間の恐ろしさとがクロスし、対比されて、すばらしい効果をあげている。 さらに処女作『メアリ・バートン』の中の苦しむ者の描写ほど切実に胸をうつ情景は各時代の作家の多くの作品の中でも稀に見るものと言えよう。ジョン・バートンが死にひんしている友人のダヴンポートをもう一人の友人と一緒に訪ねる貧民街の描写−−その簡潔なリアリズムの描写の部分は読者の心に激しくせまってくる。 「窓ガラスの多くはこわれていて、ぼろ布がつめてあったので、白昼でもそこは夕暮れのような暗さが漂っていた。この街路の状態について述べたあとでは、ダヴンポートの人々の住んでいる地下室に入って行くとあまりの悪臭が彼らをびっくりさせたと言っても驚くものはいないだろう。こういうことになれた人らしくすぐわれにかえって二人はその場の濃い暗さを通して湿ったどころか、ぬれた煉瓦の床にごろごろしている三、四人の子供たちをやっと認めた。その床を通して街路のよどんだ汚ない湿気が浸み出してきていた。だんろは空っぽで黒く、妻は夫の寝床に腰をかけてじめじめした淋しさの中で泣いていた。」29地下室の貧民街で貧困から熱病にかかって死に瀕しているダヴンポート家の悪臭鼻をつく地下の住いに、読者もともに入っていく思いがする。 『メアリ・バートン』の中のダヴンポート家の訪間の場面をあつかった6章はどの部分も緊密に結合された文章の連続であって、一部分を抜粋することは不可能なほどであり、英文学の中でもっとも悲惨な描写の一つにあげられてよいであろう。 この場面は決して単なるドキュメンタリイとして書かれているのではなく、主人公ジョン・バートンの生活の経験の中で決定的段階を形造るものとして設定され、いわばこの作品の「縦の糸」ともいうことができる。ミセス・ギャスケルがしばしば用いる手法であるが、徐々に高揚して行く読者の感情の高まりへの効果を計算してある。読者は無意識のうちにこの巧みな描写のとりこにされており、政治家や思想家のような傍観者の立場としてでなくまったく一人の人間として、作品の中に吸いこまれて行くのである。 また『シャーロット・ブロンテの生涯』では『メアリ・バートン』とは異なったペイソスが全篇に流れ、ヨークシァの孤独な牧師館の淋しさが、一度読んだものには忘れ得ぬ強烈な印象をあたえる。その一部を次に引用しよう。 子供の頃から植えつけられた迷信が、今彼女をおそってきた−−しかし、死んだものの霊からおそれてしりごみするのではなく、他の誰もが感じたこともない強烈たあこがれで、もう一度死んだ妹たちの霊と相まみえたいと切望していた。彼女のあこがれの強さは、妹たちの霊を呼びおこすかに思えた。風のある夜は、あたかもいとしいなつかしい妹たちが、もう一度彼女に会いたくて夢中で道をさがしているかのように、叫び声、すすり泣き、悲しげな泣き声が、家のまわりに聞えるようであった。30『シャーロット・ブロンテの生涯』は「伝記」全体に流れる深いペイソスに色どられている。ことにシャーロットの孤独を描いた部分は、エリザベス・ギャスケル自身がシャーロットになりきっている。この作品のすべての頁に孤独に生きぬいたシャーロットの呼吸が波うっているようである。 ギャスケル夫人の最後の作品となった『妻たちと娘たち』は最高のレヴェルの家庭諷刺小説と評価されている傑出した作品である。この作品の中の人物描写は女性の登場人物ばかりでなく男性の人物描写も完壁である点において、他の女流作家たち、ジェイン・オースティンやブロンテ姉妹をはるかに凌ぐということができる。 『妻たちと娘たち』の中のハムレー父子が父の書斎で一緒に葉巻煙草をすいながら話し合う場面は父と息子二人の性格がみごとに描き出され、読者は葉巻のにおいをかぎながら同じ書斎で親子の会話を一緒に聞いているような気持になってくる。またミセス・ギャスケルの作品の中で初めて徹底的に悪者となって諷刺の的になるモリーの継母カークパトリック夫人の人物描写は、ギャスケル夫人の作品の中でまったく新しい型をつくり出し、虚飾にみちた婦人像をみごとに描き出して成功している。 実例の引用で示したようにエリザベス・ギャスケルの作品は、非常に広範囲の様々の人生を描き出し、あらゆる型の人間とその社会との関連性を追求し、ごく身近な日常性の中の人生の意味を様々の角度から探求したのである。そして、彼女のテーマの多様性は最高の文学的テクニックをともなうために決してディレッタンテイズムにおち入ることなく、一つ一つの作品は芸術的香りの高いものとして、永遠に残る価値を持つものとなっているのである。 エリザベス・ギャスケルの作家態度が純粋であって、目的小説を書く意図は毛頭なかったことを彼女自身の言葉から聞いてみよう。 私は、もし私が読者のことを考え、読者にどのような印象をあたえようとしているかなどということを考えたら、書くことはできません。ランカシァの方言を使って言えば読者は「たとえいやでも我慢せねばならたい」のです。私の読者を軽蔑してこう言うのではないのです。本当に軽蔑はしませんけれど、私と私の主題の間に読者のことを考え、読者を意識する気持を入りこませるようなことがあれば、私は全然書くことができないでしょう。31この文章は1858年に終生の一番親しい友となったアメリカの若い批評家チャールズ・ノートン氏にあたえられた手紙の抜粋である。 読者を楽しませるという意識は、ギャスケル夫人の心の中に入りこむ余地がなかった。このことは彼女のすべての作品が、「自己」との対決から生れたものであったことを立証する。 エリザベス・ギャスケルは、彼女白身の魂と厳正な「真実」との間を照らす孤高な光の世界に生きていた。大勢の家族や知已にとりかこまれた生活の中でも、彼女はいつも孤独な澄みきった世界から、人生を観察していた。シャーロット・ブロンテがミセス・ギャスケルを「妹のエミリに似ている」といった言葉は、32 作家としてのシャーロットがミセス・ギャスケルの中に、エミリと同質のたぐいまれなた、人の世を越えた厳格な世界を認めていたからであろう。 (注) * 出典:山脇百合子『ギャスケル研究』(北星堂書店、1976) pp. 43-66.「第一編第二章:エリザベス・ギャスケルの文学的特質」の転載を日本ギャスケル協会に快諾してくださいました山脇百合子先生に感謝いたします。 * 電子化:松岡光治 |