日本ギャスケル協会

評 価


 エリザベス・ギャスケルは、他のヴィクトリア朝の作家たちについて活発な研究がなされている中で、ないがしろにされたままで、正当な価値を認められず、今日に至っている。彼女と同時代のヴィクトリア朝の偉大な作家たち、ディケンズ、サッカレー、ジョージ・エリオツトおよびブロンテ姉妹たちは過去四、五十年ほどの間のヴィクトリア朝再評価の波にのって、数々の権威ある研究がなされ、彼らの評価は再認識される多くの業績が行われてきた。その風潮の中でミセス・ギャスケルは、生存中の名声に照応して、二十世紀初頭までは活発な研究がなされていたが、死後百年記念の一九六五年に二冊の批評書が世に出るまで、約半世紀もの間、批評界からはほとんど無視されていた。
 ロザモンド・レイマン (Rosamond Lehmann) 女史は「ペンギン・ニューズ・ライティング」Penguin News Writing 誌において、約二十数年前にミセス・ギャスケルの最後の作品『妻たちと娘たち』を「無視されているヴィクトリア朝の古典」と評した。1
 英文学史上に確固とした地位を占めていながら、依然として研究がおろそかにされてきたことにはいかなる理由があるのであろうか。
 一九二二年に『十九世紀英国女流作家論』という名著を著したマージョリ・ボールド (Marjory Bald) 女史も、他の十九世紀の女流作家たち、ジェイン・オースティン、ブロンテ姉妹、ジョージ・エリオットは充分な研究が行われているのに、ミセス・ギャスケルは、無視されていることに遺憾の気持を示している。M・ボールド女史は彼女の研究書の序文において、他の女流作家の研究よりも、ミセス・ギャスケルには長いスペースをとったことを述べ、その理由として、英文学史の中で、「彼女がしばしば過小評価されているという事実によって、より広い研究が必要と感じた」と述べている。さらに「それ故私の言葉において、少なくとも少しでもそのつぐないをしたいという私の試みから、他の女流作家よりも詳細な研究をした」と説明を付けている。
 又 M・ボールド女史は、本文のミセス・ギャスケル研究の項目において次のように述べている。
私の研究はヒントと暗示の系列のようなものである。彼女に少しでも関心のある者は、彼女と共に、より先まで行ってみたいと望むであろう。そして、彼女とともに、もうすでに歩かれた大通りを歩くとともに、小さな小道をも歩いて行きたいと望むだろう。2
ヴィクトリア朝文学の研究の権威者クイラ=クーチ博士 (Dr. Quiller-Couch) )は、一九二五年の著書においてミセス・ギャスケルの作品の『クランフォード』(Cranford) と『シャーロット・ブロンテの生涯』(The Life of Charlotte Brontë) と『従妹フィリス』(Cousin Phillis) を彼女の三大傑作とみなしているが、彼女が文学批評家たちから無視されていることに対して次のような言葉で驚きの感情を表明している。
英国の田舎の人々の心の中での、テオクリタス的な動きにおいて最高であるこれらの作品を、真の批評家が見逃し、無視することが出来るなどということを考えることは、私を驚かせる。3
エリザベス・ギャスケルについての正当な評価がなされたかった理由はいくつか指摘することが出来る。 第一に、社会間題小説『メアリ・バートン』(Mary Barton) によって、外的な事件を興味本位に扱う作家であるかのような間違った印象を世間にあたえた。この印象は彼女に社会問題をあつかう作家としてのラベルをしっかりとはりつけてしまったのだ。
 このために、『メアリ・バートン』は文学的価値の高い作品というよりも、社会史的な分野の所有物とみなされることが多かった。作品の中に描き出された「社会的リアリズム」としてのマンチェスターの人々の描写、又は、「社会改革」への彼女の理念は、歴史の上に見られる一つの社会層として人々に印象づけられた。
 そして『メアリ・バートン』のもつ深い詩情を伴う純粋な文学的価値は認められず、不幸にもギャスケル文学は今日に至るまで表面的な全く皮相な研究に終っていた。そして彼女の他の作品の中で社会問題のカテゴリーに入らない、『メアリ・バートン』以外の小説との関係については、ほとんど注意を向けられることがなかった。
 当時最も反響のあったグレグ (Greg) 氏の『メアリ・バートン』評も、『メアリ・バートン』の作者が当時の工場の状態について誤解をしている点に焦点をあてている。そして彼は資本家側の立場から、彼女が労働者たちに同情を示しすぎるという点で作品を攻撃しているのである。彼女の作品にあらわれた表面的議論のみが批評の的とされた。こうした中で彼女は『メアリ・バートン』、『ルース』(Ruth) 、『北と南』(North and South) の社会問題を中心とした作品を連続的に世に送り、ヴィクトリア朝中期の社会改革に対する闘争をテーマとする、一面ではドキュメントとも見られる作品のチャンピオンとなった。
 その結果、彼女の社会闘争を中心テーマにしない他の作品は、文学的にたぐいまれな価値をふくむ作品が生み出されても、単に方法の変化とのみ見られ、あまり強い関心をもって迎えられなかった。
 他の主題をあつかった作品があまり興味をひかずに無視された批評の歴史は、現代にまで影響をおよぼしている。現代の英国小説研究家のウォルター・アレン氏 (Walter Allen) は、他の作品の価値を見逃して次のように述べる。
「彼女の名声は主にこの二篇の初期の作品『メアリ・バートン』(一八四八)、『北と南』(一八五五)などによるものである。」4
他の作品はここでも全然無視されていると言ってよかろう。又、元ロンドン大学の教授キャスリン・ティロッドスン女史 (Kathleen Tillotson) は、『メアリ・バートン』についてのすぐれた評論の中で、
「彼女の傑作は後期の作品である。たとえば『従妹フィリス』や『妻たちと娘たち』……。『メアリ・バートン』は偉大な作品ではないが、この作品は偉大な小説家の最初の作品なのである。」5
と述べて、彼女の後期の作品にこそ真の名声の根拠がおかれることを力説する。
 現代の二人の英国小説研究の権威者であるウォルター・アレン氏とティロットスン女史とが『メアリ・バートン』について全く相反する見解を述べていることにもわれわれはとまどわざるを得ない。『メアリ・バートン』のような社会問題をあつかった小説のつぎに、全然趣きの異った作品、平和な田舎町を主題にしたユーモアとペーソスの流れる『クランフォード』を描き出したその天才の手は、比類のない最高の文学的資質を示すものである。「単に主題の方向を転じただけ」という批評の言葉で片づけてしまうことは、あまりにも彼女の文学的真髄を無視することになる。さらに、作風も雰囲気も完く異なる『クランフォード』と『ルース』を同時に書いた点、又やはり同じ時期に超自然を主題にした名短篇「乳母物語」("The Old Nurse's Story") を書いたことを考える時、彼女の文学がいかに多様性をもつものであるかを明らかに示され、驚嘆すべき作家としての力量を知らされる。
 「人間」への洞察力、社会と個々の人々へのあふれるぱかりの同情心、「生」に対する真実な態度が、ミセス・ギャスケルの魂のもつ根本の精神である。そして彼女の正確な観察力は工場街において、または、海辺の町に、又は田園に生活する、ごく平凡な人間の微妙な感情の動きをとらえ、作品の中に描き出してそれらに永遠の生命をあたえているのである。ことに後期作品において、ミセス・ギャスケルのこの作家精神は躍如として現われているが、この精神は処女作『メアリ・バートン』の中にもすでに流れていたものである。
 なお、彼女の伝記は彼女自身の固い決意で「決して書かれてはならぬ」との遺言を娘たちにのこしたために、死後に伝記は書かれなかった。その事実が、ミセス・ギャスケルの研究がおくれた一つの要因でもある。また、彼女の生涯が語られる時に、ウォルター・アレン氏も指摘するように、「彼女は執筆の他に……マンチェスターのユニテアリアン教会の牧師の妻として、又大家族の母として」6 忙がしい生活をしていたというきまり文句が使われるのだ。このような作家からは文学の傑作は期待出来ないのではないかとの世評がつくられたのも当然であろう。
 そして「少女時代の思い出に、なつかしい愛情を抱いて物語を書いた、ストーリー・テラーとしての才能をもった文化的教養を身につけた素人」というようなきまり文句が、不幸にも、ミセス・ギャスケルにつきまとうことになったのだ。
 さらに彼女の、他の作家に見られぬほどの「女性らしさ」は、ことにジョージ・エリオットや、シャーロット・ブロンテ、エミリ・ブロンテというような、他者を自己の領域の中に入れようとしない、そして深く一つの主題に悲劇的に進んで行った作家たちと比較される時に、他の作家たちに劣らず彼女の内部にあるミセス・ギャスケルの強い信念、悲劇との闘争力などが見過されてしまうのである。
 そこで、非常に不当にも現代の評論家ロード・ディヴイド・セシル (Lord David Cecil) はミセス・ギャスケルの真の姿を全く誤解して次のような批評を述べている。
ヴィクトリア朝の女性のおだやかな鳩舎の中で、他の人々はわしのようであった。しかし、魅力的なヴェイルにつつまれて、優しい眼をしたミセス・ギャスケルの肖像を見るだけで、彼女は鳩であったことがわかる。7
ロード・デイヴイド・セシルは彼女の特質を社会問題の面においてでなく、『クランフォード』のような静かな田舎町の回想を描く女らしい作家としての面だけを見ていたようである。他の多くの批評家たちもミセス・ギャスケルの、牧師の妻として母としての生活を彼女の研究の唯一の材料として彼女の作品を評価するとき、彼女の初期のナッツフォード (Knutsford) [ミセス・ギャスケルの少女時代過した故郷]の日々を描く作品に現われるただ一面だけの要素を不均衡にも強調しているのである。
 伝記的要素はジェイン・オースティン、ジョージ・エリオット、およびブロンテ姉妹の場合においては、彼女らの作品の評価に於て全く重要な役割を果している。しかしミセス・ギャスケルの場合、彼女自身の意志が守られて、伝記は書かれなかった。そして、皮肉にも彼女の描いた伝記作品『シャーロット・ブロンテの生涯』においてブロンテ姉妹は永遠の生命をあたえられることになるが、彼女白身はその作品のかげに全く自らの姿は消滅させているのである。彼女の死後今日に至るまで正当な評価が行われていないといえるのであるが、彼女と同時代の批評家たちは、彼女の真価を直ちに認め、最高の賛辞をあたえていることは興味深い。サッカレーの娘でやはり小説家であったレイディ・リッチ (Lady Ritchie) は次のように述べている。
私自身の父サッカレー、ディケンズ、そしてカーライルとキングズレー、そしてその時代一流の批評家たちはこぞって、熱心な賞賛の辞をもって、ただちに、彼女の偉大な才能を認めました。8
A・W・ワード編集によるミセス・ギャスケルの全集ナッツフォード版 (Knutsford Edition) が、一九〇六年に八巻本で出版され、クレメント・ショーター編のワールド・クラシック版 (World Classic) が十巻で(一九〇六−一九一九)出版された。この事実は二十世紀の初めには彼女の価値は正しく評価されていたことを示す。全集はその時以来絶版になっていたが、一九七二年ワード博士編集のナッツフォード版が、ニューヨークの AMS 版で出版されたことは、ミセス・ギャスケル研究家にとって幸せなことである。この版は『シャーロット・ブロンテの生涯』を除いているがワード博士の各巻頭の序文は、簡潔ではあるが、それぞれの作品の背景と文学的影響に焦点をあてた有益な批評となっている。
 主としてミセス・ギャスケルの後期の作品を出版したスミス・エルダー社のスミス氏は彼女と親交のあった編集者であるが、一八七四年に、彼の主宰していた『コーンヒル』誌 (Cornhill Magazine) に、ミセス・ギャスケルの特質について次のように述べている。
百年後にミセス・ギャスケルの小説を人々によませて見よう。そのとき彼女の作品は真実の観察者の手によって書かれたもの−−即ち人間性を理解しようと望むだけでなく、理解し得る能力をもって人間性を研究した人の手によって書かれたという判断があたえられるだろうということを既にわれわれは感じる。9
スミス氏は、彼女の特質をすぐれた独自の個性、力強さ、真実さと清らかさと並べ上げている。現代のミセス・ギャスケル研究家アーサー・ポラード教授は、「この判断を今こそ検討すべき時が来ている」10 のだと主張する。一九五二年にミセス・ギャスケル研究書を世に出したA・B・ホプキンズ女史は、ミセス・ギャスケルに正しい評価をあたえるべく再評価をする必要があると感じて次のように述べている。
長いこと遅れていた、ミセス・ギャスケルについての再考察はヴィクトリア期の小説の中で、『従妹フィリス』および『妻たちと娘たち』を英文学の中で最も欠点なく構成された作品の中に入れているゴスの評価を重視することになろう。11
ミセス・ギャスケルの死後百年を記念する一九六五年には、現代における彼女の位置を定める優れた二つの評論が世に出ることにたった。一つはハル大学教授である英国小説研究家アーサー・ポラード教授 (Arthur Pollard) の『ミセス・ギャスケル、小説家と伝記作者』(Mrs. Gaskell, Novelist and Biographer) と、エドガー・ライト教授 (Edgar Wright) の『ミセス・ギャスケル−−再評価の根拠』(Mrs. Gaskell--The Basis for Reassessment) である。前者においては『シャーロット・ブロンテの生涯』をもふくめて、ミセス・ギャスケルの長篇傑作作品の卓絶した評価がなされ、彼女の真価は、現代の最高の批評家の鋭い鑑識眼によってスポットライトがあてられている。後者の評論はミセス・ギャスケルの文学的テクニックのすばらしさがいかにユニークなものとして発展したかに焦点があてられて再評価がだされている。又、全体の作品の一貫した特質を現代的批評の観点から分析する両者とも非常にすぐれた評論であり、これらの研究によってこれまで無視されていたミセス・ギャスヶルは、ヴィクトリア朝に於て、人々から賞賛の声をあびたそのままの姿で再び現代の世界文学の中に清らかな心のクィーンとして登場してくることになった。
 ヴィクトリア朝文学の研究の権威クイラ=クーチ教授は、次のように述べて、ミセス・ギャスケルが不滅の作家として残ることを予言している。
ミセス・ギャスケルを最も権威ある彼女と同時代の文学者たちととくに比較してきた私は、批評がすべてをふるいにかけた時に、彼女は天才の女性としてやさしく均整のとれた銅像のように、しかも呼吸をして彼女自身として現われるであろうことをあえて予言する。すなわち、「不滅」という言葉でわれわれが呼ぶ作家の一人として。「不滅」という言葉は、最も偉大な詩人に使われる時でさえも、非常にむなしく、非常に痛ましいものになることがあるが、彼女こそ、真に「不滅」の人として現われるであろう。12
長い年月、無視されてきたミセス・ギャスヶルの真価は、彼女の特質をうけ入れる素地のない人々にはいまだ に無縁のものと思われるであろう。物質文明に犯された現代人の心は、清らかさや、真実性そのもの、本来の人間性を、虚偽の装いの中に見失いがちである。人間に何よりもなくてはならないものでありながら、多くの作家たちもその深さまで見ようとしなかった「真実」の世界に、ミセス.ギャスケルは到達していた。
 ミセス・ギャスケルの均整のとれた澄みきった理性的な心は、当然として、すべてのものに生命をあたえる寛大なた同情心即ち愛の心をも深く裡に宿していた。フランスの彼女と同時代の女流作家ジョルジュ・サンド (George Sand) は、ミセス・ギャスケルの作品を高く評価し、「彼女の作品を読む者は、さらに良い人間になるようだ」と、ミセス・ギャスケルの作品のおのづからにしてもつ最高度の倫理性を賞賛して、次のようにのべている。 家として残ることを予言している。
ミセス.ギャスケルは、私も、フランスの他の女流作家もなし得たかったことを成し得た。−−彼女は世界の人々の最も深い関心をよみおこす小説を書いた。そして、しかもその作品はそれらを読むことによってすべての女性がよりよい人間になるような作品である。13

(注)

Arthur Pollard, Mrs. Gaskell, Novelist and Biographer, p.1.
Cf., Marjory Bald, Women-Writers of the Nineteenth Century, p.156.
Quiller-Couch, Charles Dickens and Other Victorians, p.214. 入れて章数だけを示す。
Walter Allen, The English Novel, Penguin, 1958, p.183.
Kathleen Tillotson, Novels of the Eighteen-Forties, p.203.
Op. cit., Allen, p.182.
Lord David Cecil, Early Victorian Novelists, pp.197-8.
Edgar Wright, Mrs. Gaskell, The Basis for Reassessment, p.5.
'Mrs. Gaskell and Her Novels', Cortthill Magazine, Vol. XXIX, p.212.
Op. cit., Arthur Pollard, p.1.
A. B. Hopkins, Elizabeth Gaskell, p.332.
Op. cit., Quiller-Couch, p.218.
The Works of Mrs. Gaskell ed. by Dr. A. Ward (Knutsford Edition). Front page of each volume.

* 出典:山脇百合子『ギャスケル研究』(北星堂書店、1976)pp.3-13.「序論」の転載を日本ギャスケル協会に快諾 してくださいました山脇百合子先生に感謝いたします。

* 電子化:松岡光治


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