『現代社会理論研究』第11号
ISBN:4-8226-0202-8
| 【論文】 | |
| 構築主義の困難──自己と他者の〈語る〉場所── | 天田城介 |
| プロクルステスの賓客──ハーバーマスの「他者」理解を巡って── | 箭内任 |
| 権力の戦争モデルから統治モデルへ──フーコー権力論の展開について── | 山家歩 |
| ブルデューにおける誤認(meconnaissance)=承認(reconnaissance)の陥穽 | 冨田和幸 |
| 『啓蒙の弁証法』における言語の位置──「啓蒙と神話の分岐点」の観点から── | 保坂稔 |
| G.H.ミードの社会学的身体論の視圏──「笑い」における自我と身体から── | 堀田裕子 |
| 他者の鼻──その視覚的な表現── | エルダド・ナカル |
| シュッツ社会理論における「われわれ関係」の射程 | 関守章子 |
| Schegloffをめぐる議論のエスノグラフィー | 平英美 |
| 隣人訴訟がはじまるまで──被害者カテゴリーをめぐって── | 山本功 |
| 市民活動団体の「アドボカシー」機能・再考──「ニーズ充足」の視点から── | 西山志保 |
| 性別現象に関わる偶有性と秩序性 | 上谷香陽 |
| 共依存と女性──立正佼成会の事例から── | 日比野由利 |
| 宗教と政治の間──近代日本のナショナリズムと雑誌の運動としての無宗教主義── | 赤江達也 |
| 公共空間の誕生──市民的無関心の社会的起源── | 櫻井龍彦 |
| 個人化の両義性のなかでの自己と共同性 | 山口宏 |
| 「近代的自我」から「現代的自我」へ──若者たちにおける「自分らしさ」と「ナルシシズム」── | 池田径 |
| ペット喪失体験(ペットロス)はなぜこんなにつらいのか──リアリティ分離・封殺とペット喪失者のつらさの強化について── | 新島典子 |
| 「医療事故」の社会的背景──病院小宇宙の行為者たち── | 細田満和子 |
| 〈短歌の世界〉におけるメンバーアイデンティティの形成 | 佐々木えりか |
| "Your teaching is different from what I was taught": An Ethnographic Study of International Teaching Assistants and Their Classroom Interactions | Miho IWAKUMA |
| 【小特集】書評特集:21世紀社会学の地平へ──現代社会学理論の構想力 2── | |
| 特集概要 | 張江洋直 |
| 資本主義のコミュニズムとアソシエーション(柄谷行人編『可能なるコミュニズム』) | 永岡圭介 |
| ゲオルク・ジンメルへの橋と扉(居安正・副田義也・岩崎信彦編『ゲオルク・ジンメルの社会学』/『21世紀への橋と扉』) | 櫻井龍彦 |
| 構築主義的本質化とは何か(上野千鶴子編著『構築主義とは何か』) | 柄本三代子 |
| 物語論的アプローチと自己にまつわる3つの循環(浅野智彦著『自己への物語論的接近──家族療法から社会学へ』) | 堀田裕子 |
| 「文明化」と「暴力」をめぐる問い(奥村隆著『エリアス・暴力への問い』) | 大倉野章悟 |
| 社会学にとって「臨床」とは何か(大村英昭・野口裕二編『臨床社会学のすすめ』/大村英昭編『臨床社会学を学ぶ人のために』) | 周藤真也 |
| 日本社会学の第二世代と現代社会学(小笠原真著『日本社会学史への誘い』) | 西原和久 |
| アメリカ社会学からの問い(船津衛編『アメリカ社会学の潮流』) | 関守章子 |
| 臓器移植とアイデンティティ(出口顯著『臓器は「商品」か── 移植される心──』) | 角田幹夫 |
| 実験的医療のフィールドからの手紙(レネイ・フォックス、ジュディス・ウェイジー著/森下直貴・倉持武・窪田倭・大木俊夫訳『臓器交換社会 ──アメリカの現実・日本の近未来──』) | 細田満和子 |
| 〈書かれなかった著作〉は存在しないのか(大谷栄一著『近代日本の日蓮主義運動』) | 張江洋直 |
| 目的論的な思考が隠蔽するもの──〈構築される信念〉は宗教なのか──(大谷栄一・川 又俊則・菊池裕生編『構築される信念』) | 張江洋直 |