■CAD界を震撼させたフリーウェア

 上述のような状況を吹き飛ばす一因となり,中小零細設計事務所にまで普及し ,ソフトウェア業界を震撼させたフリーウェアがある。区役所の営繕部署 に勤める仲間三人が開発した,JW_CADである。
 役所の営繕部署は,かなりの分量の設計製図業務をこなさなければならない。その大半は改修工事で あり,同じ元図を使って部分的な設計製図を行なう。その意味では ,CAD化による業務効率化が期待される部門であった。職務で行なう製図作業のう ち簡単な部分をパソコンにやらせてみてはどうだろう,と趣味を仕事に活かすところから始まった。そ れを職場で使いながら改良を繰り返していくうちに,CAD としてまとまり,1991年5月,商用BBSの建築関係の会議室に発表という形で世に登場した のである。
 1995年1月に「日経アーキテクチュア」誌(日経BP 社)が設計事務所のCAD使用状況についてアンケート調査を行なってみたところ ,ソフトについて,次頁に示すような結果が出ている(図2 ;同誌No. 517, 522)。

図2 設計事務所で使用しているCADソフト(複数回答)
「日経アーキテクチュア」no.522:広告企画(設計プレゼンツール95)から転載

 JW_CADおよび,DRA-CAD,AutoCADはDOS系のハードで動作 ,MiniCADはMacintosh用のソフトである。2位以下のCAD はすべて商品である。
 2位のDRA-CADは国産で,関連ソフトとして法令チェックとか構造計算 ,建物の収支計算といったソフトとデータ互換性がある。3位の AutoCADは1994年には累計100万本という世界で最も売れて いるCADであり,開発元の提唱したDXFという中間ファイル形式が ,事実上CADのデータ互換用の標準ファイル形式となっている。もっとも ,「所有者は多いが使用者は少ない」とも言われている。
 4位のMiniCADはMacintosh用であるためDOS系のCAD と違い,オブジェクト志向であって,面情報を持っている。このことはレンダリング 等のグラフィック処理にはメリットであるが,DOSのCADユーザが乗り換えたときには戸惑いを 感じさせる。
 JW_CAD は,商用BBSの中で開発者・ユーザー同士によるサポートが行なわれ ,また建築系の雑誌が,このソフトを付録に付けた解説書を販売した(図3)。しかし ,このように普及したのはむしろ,商品ソフトとは一線を画した ,製図板からすんなり移行できる「基本機能の使いやすさ」が理由であっ た。筆者の職場でも,AutoCAD 導入当初は,いくら講習会を開いても使う人間は増えなかった。とこ ろが,JW_CAD は講習会を開かなくても使う人間が増え,あげくにそれを見ていた周囲から講習の開催要求が出されたほどである。

図3 JW_CADによる作図例(愛知県 林 徹生氏)
「建設知識別冊JW_CAD徹底解説」no.437から転載

 さて,このようなCADが「無料」で出回ったために, それまで,何十万円という価格のCADを売っていたベンダーや販売代理店の ,ユーザサイドから見れば本末転倒といいたくなる行動が散見された。 ベンダーの業界団体では1993年10月に「フリーソフトウェア対策小委員会」を設立し ,「パソコン通信などを経由して無料で配布されるフリー・ソフトウェ アが,ソフトウェア業界に与える影響を評価し,商業ベースで販売されるソフトと共存しうるかどうか を模索」した。また,販売代理店のセールスマンたちが「 JW_CADは某商品CADの盗作で裁判になっている」「もはや開発中止になった」等とデマを飛ば している,という報告がJW_CADをサポートするBBSに相次いだ。
 もっとも,最近は既存CADとの住み分けが進んで,既存 CADは三次元,レンダリングといったグラフィック的機能を付加し ,そういった機能を要求するユーザ層に食い込んでいる。対策小委員会でも 「商品売れ行きへの影響は不明」という見解に落ち着いている(「日経アーキテクチュア」No. 517)。

■ハードは?

 前掲したアンケートでの,ハードの導入状況は図4 のとおりである。
 今後導入したいプラットフォームとしては図5のとおりである。やはり NECが多いが,AppleとIBMが伸びていることが目を引く。 Apple,IBMともいち早く低価格路線を取ったことが,シェアを 伸ばした理由であろう。とくに,高機能なグラフィック系ソフトを使える Macintoshに手が届くようになれば,デザイン志向の強いアトリエ系事務所 にとっては,導入しない理由はなくなった。
 さて,実際に導入している事例を見ると,複数プラットフォームを使っているケースが多い。だいた いは,NECの98シリーズと他製品というパターンである。これは ,かつては中小事務所で導入して使えるパソコンは,価格的にもソフト的にもこの製品 しかなかったため現在でも使い続けていること,また,業務用ソフトの多くはこのシリーズ用に開発さ れていて,関連他社とのデータ交換の面で,1台は必要になっているのだ。

図4 使用している機器および導入ハードウェアのシェア(複数回答)
「日経アーキテクチュア」no.522:広告企画(設計プレゼンツール95)から転載(一部改変)

図5 今後導入したいハードウェア(複数回答)
「日経アーキテクチュア」no.522:広告企画(設計プレゼンツール95)から転載

■導入の実態

 ここまで書いた内容だと,設計事務所のパソコン導入は相当進んでいるかのようだ。ところが ,実態はそうでもない。アンケートでも,調査母数1,000に 対し回答は511.そのうちCAD導入については,
  ___________________________________
     すでにCADを導入している     76.1%
     導入する予定はある        21.7%
     導入する予定はない        2.2%
  ___________________________________

である。無回答はCAD導入に関心がない,と見て差し支えないだろう。とすると ,実際にCADを導入している事務所は,全体の約40%。筆者の周囲を見 ても,そんなものである。また,その中でCADで描いている図面が80%以上というのは3割にすぎない。
 このように,ソフトはJW_CAD,ハードはPC98系から Macintoshへの移行傾向,そして普及率は全体の4割,しかもその中でほとんどの設計作業を CAD化しているのは3割,という状況は,何を意味しているのだろうか。
 設計のプロセスは,原点から形を練っていく過程で ,エスキスと呼ぶデッサンを経る。その後,所員が手分けして設計図を製図していく作業へ移る。こ の最後の製図作業をCAD化しても,エスキス作業は従来とおり紙に鉛筆で行なっている ,製図板をパソコンに変えただけの使用者が多い,ということ だ。
 そういった利用者にとって複雑な機能は必要ない。いかに ,これまでの製図板に近い感覚で線が引けるか,が要望になる。また ,改修工事のように,そもそものエスキス過程がほとんどない設計作業も ある。そういった業務にも,JW_CADのような基本的機能のみで使いやすい CADの方が効率的である。
 JW_CADが世に発表された時のバージョンはver. 0.70であった。その後の進化で,最新のバージョンはver. 2.00となり,日影図が描け,ワイヤーフレームの三次元描画までこなす。しかし ,JW_CADユーザの相当数はそういった機能を使っていないようだ。
 一方,エスキスから高機能CADを使う建築家も現れている。この場合 ,エスキスが三次元的に検討できる,というのが最大のメリットである。これま で思いついても図面化できなかったような複雑な三次元形態も三次元 CADであれば図化できる。
 こういった使い方をするには,これまでの製図板的発想から ,CAD的発想への転換が必要である。また現在のパソコンCADの三次元機能では,このような使い方に十分応えていないが ,Macintosh用にオレゴン州のArtifice社が開発したDesignWorkshop のように,三次元CADというより,もはやデザイン・アシスタント的存在も登場し ている。

■将来は・・・?

 さて,今後どのように推移していくだろうか。
 まず確実にいえるのは,JW_CADに代表される,製図板に置き換わるような ,ローエンドCADは,今後も普及を続けるだろう。それで十分というユーザ層 が厚いからだ。AutoCADにも,基本機能だけに絞ったAutoCAD LTという廉価版が発売され,そこそこに売れている。
 一方,高機能なハイエンドCADには,2つの志向性が考えられる。一つは ,CADを主体として関連機能を包摂していくオール・イン・ワン志向であ る。すでに,AutoCAD等はこの道を歩みつつあり,今後も進むだろう。
 もう一つの道は,上に書いたような,デザイン・アシスタント化である。三次元エスキス機能から ,平面図とか立面図,断面図といった設計図を生み出すような ,いわば,これまで人間の頭の中で行なわれていた,空間デザインのプロセスをパソコン上で 作業できるようなソフトである。

 楽観的予想であるが,そのようなハイエンドCADによって ,これまでは建築家のスケッチブックの中にしか存在しなかった夢物語のような建物が 実現するかもしれない。そういった建物がデザイナーの独りよがりではなく ,その建物を利用する人々やその周りに住む人々にも歓迎される夢物語に なってほしいものだ。