民科法律部会98年度研究合宿in長良川 基礎法部会 報告レジュメ
「近代フランスにおける中間団体政策と福祉政策の交錯 −準備的考察」

東京大学社会科学研究所 高村学人
takamura@iss.u-tokyo.ac.jp
99/3/30


1. はじめに

1.1これまでの作業
1.2報告の対象と視角

2. 旧制下

2.1絶対王政の基本構造
「社団国家」
農村・都市での相互扶助関係
住民共同体の貧困者への生活保障義務 −ローカリズム

2.2都市化、マージナルな層の出現
貧民=「定まった仕事場も住居もないもの」、社団に属さず

2.3旧制下の福祉観と担い手 
「神の申し子」としての貧民 認識基盤epistemeとしての「宗教」
担い手 慈善(charite)、修道会

2.4貧民観の変容と対抗
王権の介入
1656年「パリ総救貧院」設立、理念と実態(大いなる閉じこめfoucault)
コルベール、浮浪罪と棄民政策 
「本質的に矯正が不可能な、悪徳と無秩序の源」としての貧民観
対抗関係
「都市−社団−住民」の体系 旧来の福祉観、共同性とローカリズム
「国王−ポリス総代理官−臣民」の体系 社会浄化・秩序・監視、国家的公共

3. 啓蒙主義者からの批判


3.1慈善にも王権にも批判、革命期への流れ 

3.2Turgotの批判「財団」『百科全書』(1757)と財務総監時代(1774-76)
3.2.1慈善(キリスト教的愛徳)への批判、労働と国富
3.2.2貧民分類 「真の貧民」と「偽の貧民」
3.2.3施設への批判・廃止
3.2.4労働提供、そのための中間団体破壊、経済的自由主義(1776)、競争
3.2.5その体系性、「宗教から経済学へ」認識基盤の変動


4. 革命期

4.1革命期の社会像

4.1.1社団の一掃
4.1.2ル・シャプリエ法(1791)「扶助も国家」
4.1.3在俗修道会・信心会の廃止(1792)

4.2革命期の福祉観、福祉政策


4.2.1乞食対策委員会(1790-)
4.2.1.1権利と社会統合
4.2.1.2貧民を三分類
(1)稼働能力はあるが仕事がない者 労働提供
(2)稼働能力があるにもかかわらず、怠惰により仕事をしない者 処罰 
(3)稼働不能力者 公的扶助
4.2.1.3在宅扶助の原則
4.2.2公的救済の新たな組織化に関するデクレ(1793)
4.2.2.1扶助の国家化・標準化
4.2.2.2私的慈善から各カントンの機関への集中
4.2.2.3扶助は国民の負債→93年憲法
4.2.3「国民福祉台帳(公的負債台帳)」(1794) 国家インターフェイス、国民を一単位に
4.2.4乞食矯正院(1794)、旧制下とは異なる内部規則

4.3財団(1793)、救貧院、慈善施設(1794)の財産没収

4.4フィランソロピー協会


4.4.1革命・啓蒙主義の影響の中で
4.4.2パリフィランソロピー協会の事例
4.4.3補助増額の否決
4.4.4フィランソロピー協会の解散令(1795)
4.4.5哲学(革命的イデオロギー)の貫徹

4.5革命期の実態


4.5.1プランの機能不全
4.5.2軍人には厚く
4.5.3地方での取り組み

4.6「公的救済」条項の象徴的作用 私的所有権・経済的自由主義の擁護

5.執政政府期からナポレオン帝国まで(1795-1814)

5.1革命のプランへの批判Delecloy(1795)

5.2施設再建(1796)


5.2.1財政難による斬新的プラグマティズム
5.2.2諸特権の付与

5.3救貧局設立(1796)

5.3.1その組織性格 融合型
5.3.2ローカリズムへの批判・人事介入

5.4フィランソロピー協会の復活

5.4.1「母の慈善協会」の事例
5.4.2位階秩序、帝国貴族 「皇帝−帝国貴族−地域名望家−貧民」
5.4.3階層秩序の安定化として機能(目に見える社会秩序維持に加えて)

5.5この間(とりわけナポレオン期)の中間団体政策との関係づけ

5.5.1公式的近代=アトム的個人?
5.5.2ナポレオン刑法典291条の構造
「宗教・文芸・政治あるいはその他の目的に携わるため毎日またはある定められた日に集合することを目的とした20名以上の結社は、政府の承認をもってしてのみ、また公権力が協会societeに対し意のままに課する条件においてのみ結成しうる。」
5.5.3それ以外の団体の復活
5.5.4判断枠組みとしての総合性=実践知、公序

5.6行政機構の特質、公共の縮減

6.それ以降の展開(素描) −結びにかえて


6.1王政期 私的慈善・修道会の奨励、カソリック王政との親和性
6.2王政後期から 労働者の自律化、相互扶助組合、労働組合
6.3第三共和制、革命のプラン実現、共和制との親和性
6.4方法論的展望

参考文献(議会資料・法令集の類は除く)

1. に関して
高村 学人「フランス革命期における反結社法の社会像」早稲田法学会誌 48巻、1998年、105-160頁
高村 学人「ナポレオン期の中間団体政策の変容」社会科学研究50巻6号、1999年(予定)
水林 彪「西欧近現代法論の再構成」法の科学 26巻、1997年、84-96頁

2. に関して
Fr・オリヴィエ−マルタン『フランス法制史概説』(創文社)1986年
千葉 治男『義賊マンドラン』(平凡社)1987年
二宮 宏之『全体を見る眼と歴史家たち』(平凡社)1995年
ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(新潮社)1975年

3. に関して
阪上 孝『近代的統治の誕生』(岩波書店)1999年
チュルゴ『チュルゴ経済学著作集』(岩波書店)1962年

4. に関して
Duprat,Catherine,Pour l'amour de l'humanite Le temps des philanthropes -La philanthropie parisienne des Lumieres la monarchie de Juillet,Editions du C.T.H.S.,1993
Godechot,Jacques,Les institutions de la France sous la Revolution et l'Empire, P.U.F. ,1985
Gibaud,Bernard, "La Societe philanthropique de Paris ou les paradoxes du patronage aristocratique ",La Revue de l'economie sociale 13
内野 正幸『社会権の歴史的展開』(信山社)1992年
中村 睦男『社会権法理の形成』(有斐閣)1973年
5. に関して
小田中 直樹『フランス近代社会 1814〜1852』(木鐸社)1995年
Godechot,Jacques,Les institutions de la France sous la Revolution et l'Empire, P.U.F. ,1985

質疑と討論の内容

まず名和田先生から、これまであった社会的紐帯を革命期の国家が破壊しようとした理由は何か、との質問があった。これには、経済的合理性や政治抗争上の状況的理由からのみでは説明がつかず、革命の個人主義イデオロギー、市民を創出するための国家という理念による作用が大きいのでは、と回答した。

笹倉先生からは、その理念にはルソーの影響があるのか、との質問があった。前回拙稿では、ルソーとル・シャプリエの相似性を指摘したが、ルソーとル・シャプリエには、想定する国家規模や代議制に関して相違があり、やや留保が必要であるとの判断に最近は至っていると答えた。ただし、ルソーの一般意志形成のための個人、部分社会否認という理念は、ルソーのテキストを厳密には離れて用いられていたとはいえ、影響がなかったわけではなく、思想がその都度の目的・情勢によって変化して用いられることがよくあるように、テキストを離れた独自の作用にも注目せねばならないのではないか、という討論になった。

また名和田先生・原田先生からは、そのような留保と付けるとしても、孤独であることの意義や、目指すべき経済秩序・所有権概念に置いて、大きな相違があり、それらの点をまだ十分整理できてないのではないか、という指摘があった。

中村(浩)先生からは、1,「友愛」概念が革命期において果たした意義について、2,また革命前の相互扶助と7月王政以降の労働者結社・相互扶助組合の組織原理・理念に差異があるのか、という質問があった。
1.については、革命期に友愛は大きな意味はなかったとの説もあるが、統合の原理として友愛は、自由や平等よりも演出しやすい概念であり、国民祭典の際には、先頭に掲げられた概念であった、また友愛という概念は小集団内の兄弟愛を指すだけではなく、国家共同体を単位としてもその一体性を強化するためにも用いられる概念であり、状況によって実体的内容は異なり、共同性の有り様とそれが及ぼす政治的社会的効果は別個のものとして一端切り離した後に、実質的概念ではなく、関係的な概念として捉えねば、友愛を包摂的に定義できないのではないか、と回答した。
2.については、革命後の結社といえども、決して近代的な組織ではなく、承認には儀礼的要素が伴い、決闘を行ったり、みずからの集団に伝説を作り出したり、非合理的な要素も多い、報告では、団体の構成原理の断絶性を強調する趣旨ではなく、統治側の意図の変遷の問題として提起した論点であると回答した。

これらの論点に関連して三成先生から、ドイツのBruderschaftとMenschenliebe概念とフランスでの概念との対応関係、fraterniteの訳語や博愛から友愛に代わったのはいつだったか、という質問があった。ドイツ固有の意味についての知識が不十分だったので、明瞭には回答できなかったが、博愛は普遍的人類愛であり、友愛は同胞への隣人愛であると定義すれば、友愛=Brudershaft=fraternite、博愛=Menschenliebe=Philanthropieである。博愛は富める者による貧者への慈善活動に親和的な原理であり、友愛は同じ職能に基づく相互扶助に親和的であると回答した。その担い手が国家であるか集団であるか旧い組織か新しいか、は決定的なメルクマールではない、と答えた。近年、友愛を強調する中西洋先生の意図ははっきりと理解できないが、訳語の変更については、友愛のもたらした統合・排除の側面が、近年のフランス革命史学で強調されだしたので、そのような形になったのではないか、と回答した。

三成先生からは、救貧局の行政システム上の位置、意思伝達の経路、ならびにその担い手(担い手については革命期の施設についても)について質問があった。救貧局運営委員会の任命が市長村側にあったが、帝政期にはいると、内務大臣・県知事に変更されていった点、意思伝達としては、慈善団体の中央連絡会をアソシエーションとして公認し、内務大臣−知事−施設という公式経路ではなく、非公式的な制度を通じて情報を性格にあつめることに重要性を統治者の側が置いており、ここで得た情報に基づき政策を行った、担い手については当初は無償の地域名望家であったが、徐々に修道士達が担うようになっていった、革命期の施設の従事者は、修道士が公民宣誓や宗教服を禁止によって外面的には世俗人となって従事していた、と回答した。
また先生からは、ドイツでも過去の救貧システムは、政体が代わっても永続することが多く、ヨーロッパ一般で言えるのではなかろうか、日本では幕末体制・明治政府が徹底的に慈善団体を破壊したので、むしろヨーロッパよりも近代的な面があった、とのコメントがあった。
これに対しては、近年のヨーロッパ社会史は、旧来からの連続性、社会の基層部の不動性を強調し、モダンの原理を批判し、また他方で、憲法学は革命期の思想のみを見て、近代に大転換があったと把握し、モダンを擁護ているが、自分としては、法学説・思想の影響、統治側の微妙な政策変更や、これらに対する社会からの抵抗に焦点を当てて、いわば法と社会の相互作用といった視点から、福祉・中間団体政策の展開を研究することが法社会学としてのアイデンティティであり、実践的意図としては法を絶えず揺らぎがもたらされる抗争内在的なものとして捉えることにあり、単なる相対主義ではない、と回答した。日本については回答しなかったが、共済組合が大企業・官業において上から導入されて来た点に見られるように、旧き団体が残存したことが問題なのではなく、江戸時代から続く上からの中間団体再編が近代以降も強固なものであり、社会からの抗争が不可能な程、お上が強かった点にこそ、比較のための座標を設定せねばならないのではないか、と考えている。

また岡田先生からは、貧民救済委員会や憲法での被救済権の実体的内容、どういった「権利」なのか、との質問があった。これにもあまり明瞭には答えられなかったが、救済の「権利」性は、乞食対策委員会、その後の個別的立法には見られ、droitという言葉が用いられたが、最も重要な93年憲法では、権利という言葉は、その他の草案にもあったにもかかわらず、意図的に避けられ、「権利」に代えて「負債」が、「国家」に代えて「社会」が用いられ、権利性はここではぼかされていた点を報告では、オミットしたが、これも重要であり、双務性が当初は謳われながら、現実においては健常貧民の労働義務だけがサンクションされたことの重要性も述べておきたい、と回答した。また現実に公的救済組織が設置されなかったので、権利の主張自体、非現実的であった点も付け加えた。しかし報告者としては、「権利」という概念は、私人間の慈善で要求されるものではなく、あくまでも国家に対してのみ意義を持つものとして考えられていたのであって、貧民を国家という法共同体の一員として組み込むべくことが意図にあったことがなによりも重要である、と考えると述べた。

原田先生からは、1、乞食対策委員会がなぜ貧民ではなく、乞食という名称をとったのか、両者に差異があるのか、をはっきりと調べねばならないのではないか、2,公的救済の条項が象徴的機能として経済的自由主義への異議申し立てを排除した、という論点は面白いが、それを主張するには、所有権概念をめぐる争いや農民運動を詳細に検討せねばならず、相当準備を必要とするのではなろうか、3、それ以降で述べられた相互扶助組合や労働者結社は、貧民問題とは位相を異にしており、ポリス管轄事項としての乞食・浮浪者といった領域とどう関連してくるのか、4,現在のフランスの社会保障でもinsertion(組み込み)という概念が用いられており、我々日本人はその概念に戸惑いを感ずるが、このような概念の発生史もこの報告には解くヒントがあるはずで、その辺のところもこれからは意識せねばならないのではないか、とのご示唆を得た。いずれも準備のなかった論点であったので、今後の課題として取り組む積もりであると答えるに留まった。

石井先生からは、実践知という概念を報告では用いているが、その概念の深みをわかって用いているのかは、法哲学者として無関心ではいられない、との発言があった。

*当日、コメントを頂いた方、報告を聞いて頂いた方に深くお礼申し上げます。