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ポストゲノム研究におけるフィジオーム-(統合生理学)研究の必要性
国立循環器病センター研究所長 菅 弘之
(前 岡山大学医学部生理学教授)
2003年2月24,25両日大阪で日本側の厚生労働省直轄の国立循環器病センター(National Cardiovascular Center,略称NCVC)と米国のNIH(National Institute of Health,国立健康機構)に属するNHLBI(国立心臓肺血液研究所)とのジョイントセミナーThe US-Japan Symposium 2003が開催された(尚,3日日の26日には会場を東京に移し,厚生労働省講堂でゲノム疫学倫理に関してのセミナーが開催されたが,以下では触れない).このセミナーは,1980年の大平総理・カーター大統領間合意により,循環器病に関してその時々の国際的に重要なトピックスに関して日米交互隔年で開催されてきたものである.
今回のテーマは,循環器病におけるゲノム研究の進歩(Advances in Genetic Research in Cardiovascular Disease)であり,疫学(Genetic epidemiology of cardiovascular disease),倫理(Bioethics of epidemiological genetic studies),動物モデル(Animal models and comparative genetic studies),環境因子と薬剤感受性(Gene−environment interaction and drug sensitivity)における最近の進歩や問題点,今後の展望などに関して,日米双方の著名招待演者による講演と討議が行われた.米国側演者はNIH外の広域の大学や研究所の専門分野の教授の参加が中心であった.日本側は,丁度国家的プロジェクトの5年計画でのミレニアム・ゲノム・プロジェクトが3年目を終わろうとしていて,当センター担当の高血圧疾患等の遺伝子多型の研究も数千人の患者と健常人の試料と臨床情報が集まり,ハイスループットでの解析結果が可成り集まった時点でもあり,国循内外の演者の混成で対応した.
この中で,遺伝子改変動物モデルを使っている薬理学者から,ゲノムと個体機能との対応(具体的には高血圧関連遺伝子群と高血圧症候群との対応)の研究で,ゲノタイプ(genotype)とフェノタイプ(phenotype)とを関連付ける必要があるが,それが単純ではないと言う議論が出された.その要点は,高血圧関連遺伝子操作をしてゲノタイプは決まっても,中心的フェノタイプとしての動脈血圧という循環力学変数は,米国著名循環生理学者Guytonの研究でも判るように,非常に多数の要素が複雑に統合されたシステムの中で決まってくるので,両タイプの関係は必ずしも直接の因果関係としては表れてこないであろうというものであった.
私も循環生理学者として全く同感でコメントを追加した.Guytonが総説(Circulation: overall regulation. Annu Rev Physiol. 34: 13-46, 1972)で,動脈血圧調節系の詳細なモデルを掲載しているように,そのシステムは血液体液循環系,腎,神経系,内分泌系等に関わる非常に多くの要素が統合されて成り立ち,その中にはポジティブ及びネガティブ・フイードバック系が多重に,あるいは直列並列に組み込まれている.従ってゲノタイプの多型(SNPs,マイクロサテライト,ハプロタイプなど)の変化によって種々の要素機能が大きく変化したとしても,血圧がそれに応じて必ずしも変わらない場合も多々あり得る.現在では生理学者も要素分析学者が多くなり,システム生理,統合生理学者が少なくなっている.ポストゲノム時代には益々システム・統合生理学者が,しかも特に若い層で必要であるが,その点日本では心配だと述べた.それに対して,米国でも同様な認識であるが,若い層にそのような関心を持つ者が増え始めているので,心配ないとのことであった.この点で,日本は後手にならないように頑張る必要があるとの思いを強くした.
現在はコンピュータ上に複雑なヴァーチヤルモデルを容易に作り,あれこれと条件を変えてシミュレーションが出来る時代であるが,生理学ではあるがままの複雑な系において,統合機能の計測と同時に,様々な要素の挙動を観測することは未だに困難なことが殆どである.測定しようとすると,個体に侵襲を加えたり,摘出する必要がある.ある意味では生体計測における不確定性原理(uncertainty principle)とも言えよう.そのような状況が続く限り,コンピュータに組み込む要素特性を仮定してシミュレーションする以外に方法がないわけであるが,その際に,要素間の相互作用が,線形か非線型か,フイードバックが有るか無いか,要素特性が不変か可変か,などによってシステム全体の動作特性は著しく異なってくる.場合によってはカオスもあり得る.未知の要素特性をいかに仮定するかで結果が大きく左右される.この状況はゲノム前時代の2,30年前も今も殆ど変わらない.極論すれば,シミュレーションの結果が現実と一致したからと言って,現実が全て判ったとは言えないのである.
これに関し,30年前にJohns Hopkins大の佐川喜一教授(Guytonの弟子)の下に留学していた時に,上記と同じような議論をしていたことを思い出す.特に印象に残っているのは,手足頭尾や臓器毎に異なった動物に由来している妙な姿の動物が実験テーブルに横たわっていて,自分は一体何者なのかと問うている佐川先生の漫画スライドである.これは現在でも当てはまり,特定の動物種であらゆる要素機能が解明されている訳ではないので,文献上の様々な動物種の解析結果を組み合わせてモデル化し,シミュレーションしても,そのような動物は仮想的なもので,現実的にはどこにも存在しないのである.最終的にはヒト,あるいは personalized medicineでは個人毎に要素機能が解明され,個人毎の in silico virtual human が作られなければならないことになるが,そこまではまだまだ遥か先と言わざるを得ない.このような現状を見ると,故佐川教授の12年ほど前のメッセージ「要素分析研究の流行下では,統合生理学者は研究費などの面で冬眠をせざるを得ないかも知れないが,必ず春がくるので,それまで凍死せずに頑張ってくれ.そして春には必ず目覚めよ!」を思い出す.
幸いに現在では,ゲノムに対して,生理機能全体をフィジオーム (physiome, http://www.physiome.org/ ) と呼び,国際生理科学連合 (IUPS, http://www.bioeng.auckland.ac.nz/physiome/physiome.php) でも,NIHの NIBIB (National Institute for Biomedical Imaging and Bioengineering, http://www.nibib.nih.gov/) でもポストゲノム戦略の一つとして重要視している.フィジオームに更に関心のある読者は,この分野で日本のリーダーである岡山大学生理学梶谷文彦教授の解説:フィジオームとBME:ポストゲノム時代の展望.日本ME学会雑誌 BME 16: 2-6,2002. を参照されたい.
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