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リテラシー(識字)の問題は,一般社会の中でも生じるが,科学の世界でもやはり生じる.進化学者(あるいは 他の個別科学の研究者)が,家系や系譜のつながりを表現するために日常的に使っているさまざまな図形言語はど のようなコミュニケーションに使われ,読み手はどのようにそれを受容しているのか,今後,そのような図形言語 をさらによく使いこなすためには何を考えればいいのか,などの論点が浮上してくるだろう.もちろん,論議の切 り口そのものもいくつかあり得るだろう.たとえば,現在の進化学で当たり前のように用いられている系統樹やネ ットワークといった図形言語がそのユーザーに伝達している意味内容や背景仮定にはもっと論議すべき論点がある だろう.個別科学の分野で用いられているさまざまな図形言語(文字,記号,絵画,などの視覚化ツール)に関す るリテラシーの問題を分野横断的に議論する場を設けたいというのが今回のシンポジウムを企画した動機である. [三中信宏]
自然界や人間界で遭遇する事象や現象をめぐる情報を「可視化」することは,図形言語のもつ潜在力をその使い 手と読み手に印象づけると同時に,利用するユーザー側にリテラシーを要求する.現代の進化学や系統学では,さ まざまな形式の「系図言語」(ツリーやネットワーク)が広く用いられている.ある図形言語が系統関係や血縁関 係を表すために用いられているとき,その図形言語のどの部分にどのような形式でそれらの関係が表示されている のかを読みとる必要がある.形質情報を要約するツールの観点から見たとき,ツリーやネットワークはメッセージ を伝える図形言語としての性格がはっきりする.系図言語のリテラシーという点でいえば,せっかく高性能のコン ピュータを用いて系統関係が推定されたとしても,系図言語のグラフィック・デザインが貧しいために,あるいは 使い手や読み手の側のリテラシーが足りないために,視覚的コミュニケーションに支障をきたす場面もある.大規 模なデータに基づく近年の分子系統解析では,複雑な構造をもつツリーやネットワークを推定することができるよ うになった.しかし,そのような巨大で錯綜したグラフィックスとしての系統樹や系統ネットワークを読み解くた めに十分なリテラシーを今のわれわれは残念ながらまだ持ち合わせていないのではないか.
近現代世界において「リテラシー」は生存のための必須の技能,基本的人権の一つとさえみなされる傾向にあり ます.また,社会的な次元で見ても,国民のリテラシー・スキル普及・向上は経済発展や民主的な政治体制の確立 のための必須の要件とみなされており,途上国の社会開発においても最重要目標の一つと位置づけられています. とはいうものの,いったいリテラシーとは何なのか,何をどうすればよいのか,という具体的な局面になると様々 な考え方が並び立ち,むしろ混迷しているという印象さえあります.そもそも紙とペン(やコンピュータ)を扱う ことがいかにして人類という生物の生存に関わりを持つのでしょうか?私自身は主に途上国の文脈でこの問題を考 えていますが,視野を時間的にも空間的にも広げてみることによって問題の形がよりはっきりしてくるのではない か,と考えています.今回の報告では,リテラシー,読み書き算術等に関する近年の研究の中から特に人々の生存 という点で重要と思われるいくつかのトピックを取り上げて,皆さんと一緒に考えてみたいと思います.
進化論の視覚化の時代は,郵便革命の時代とほぼ同期している.1840年,ヘッケルが 6才のとき,イギリスの郵 便制度の改革により,封書と便箋の使用は廉価になり,さまざまな意匠をこらした絵封筒,絵便箋が流行するよう になった.さらに1869年にはがきの使用が認められると,この流行は絵はがきへと移行した.やがてドイツの高度 な石版印刷技術が産んだ精密な多色刷り(それはヘッケルの色鮮やかな図版の複製を可能にした)によって,小さ なはがきには細密画が刷り込まれるようになり,絵はがきの世界的な大流行が起こった.絵はがきは,観光名所を 紹介するだけでなく,絵解きや仕掛けを伴うようになり,謎を送り,謎を受け取るツールとなった.絵の交換を主 眼とした「無言絵はがき」が流行し,万国郵便連合(UPU)制度によって,その流行は国境や言語の壁を越えた. 封 のない絵はがきは,宛先人だけでなく,配達人,家族,友人に対して開かれた存在だった.人々は送り手にいかに 絵を届けるかだけでなく,いかに送り手以外の人々を楽しませるかを考えるようになった.郵便改革は,絵の宛先 という問題に革命的な変化をもたらした.それは,人々の図形言語リテラシーを,深いところで大きく変化させた と考えられる.
近年の視覚文化論では,自然科学を含む諸学問における図像表現の利用と学術的な知の形態との関係をめぐった 歴史的研究が盛んにおこなわれています.例えば,人文学が口誦的で視覚的イメージ中心の知から,文字教養とし ての「リテラシー」を核とした科学へとあらたに編成されたのは,西洋近代にとくに顕著な歴史的現象です.20世 紀以降の情報環境の変化は,18世紀以前の多様な「知の視覚化」の営みを発掘し,そこに近代的な枠組みとは異な る発見と創造の論理を探る試みを生みました.とりわけ1990年代以降の文化論における言語テクストから視覚的イ メージへの重心の移行は「図像的転回(iconic turn)」と呼ばれ, 美術史を越えた広範なイメージ学の到来を告 げるスローガンとなっています.そして,この転回の淵源には,ゲーテ自然学における形態学のほか,ダーウィン やヘッケルの生物学における生命形態変化の理論的パラダイムとその図像表現のあったことが指摘されています. 今回の発表では, 視覚文化史の先駆者として再評価が著しいアビ・ヴァールブルク(1866-1929)が晩年に構想し た,さまざまな芸術作品の写真図版からなる「図像アトラス〈ムネモシュネ〉」を糸口として,イメージの/イメ ージによる系譜学的歴史分析の方法論について話題を提供し,自然科学との接点を探りたいと思います.